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なぜ、コーヒーキュレーターとして、コーヒーキュレーションをし、コーヒーキュレーションサービスを立ち上げるのか。

お前誰だって話書いてます。↑

4月いっぱいで名古屋の老舗(スペシャルティ)コーヒーロースターを離れて、
東京に還り、コーヒーキュレーターを名乗り、コーヒーキュレーションを生業として、コーヒーキュレーションサービス「mamedana(マメダナ)」を立ち上げます。

なぜバリスタを名乗らず、コーヒーキュレーターなのか

2つの記事に書いてることは触れるかもしれませんが、
掘り下げないかもしれません。よかったら一読いただけると嬉しいです。

この記事は↑を掘り下げていこうと思います。

アーティストとキュレーターという表現者の違い

アーティスト(ここではまず芸術家)
芸術家とは
芸術作品を創作・創造し、表現する人。アーティスト、アーチスト(英: artist)とも呼ばれる。
日本語の「芸術家」と英語の「artist」には、若干の含みの違いがある。
後述する各分野の専門家のことを指すほか、一つの表現手法に拘らず、様々な形態で作品を制作している人物について使われる場合が多い。例えば絵だけで表現する人に対しては「画家」という肩書きが用いられるが、絵のほかに彫刻や建築デザインなど、複数のジャンルを手がけている人物に対しては「画家で彫刻家で建築デザイナー」などというよりも、簡潔に「芸術家」や「アーティスト」と表現されることがある。芸術活動への支援者(パトロン)から援助を受けている人、商業芸術(英語版)作品の収益を主たる収入源とする人の他にも、兼業で活動を行う人、前衛芸術(アバンギャルド)活動等を行い必ずしも生前に作品の真価が認められない人、あるいは土器などの民芸や、一般に純粋美術(ファインアート)とみなされないアウトサイダー・アートを作る人々を含むなど、時代を経るごとにその活動は多様な概念を包摂し続けている。(Wikipediaより)

アート(Art)とは、
芸術・美術など間接的に社会に影響を与え得るものである。(Wikipediaより)

キュレーター
キュレーター(英語: curator)とは、博物館(美術館含む)、図書館、公文書館のような資料蓄積型文化施設において、施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す(※curate―展覧会を組織すること)。英語由来の外来語であり、日本語でもほぼ同じ意味で使われている。
日本にキュレーターという語が入ってくる2000年代までは、学芸員という語が使われていた。現在は学芸員とキュレーターが混在している。なお、「学芸員」は一般的にはcuratorと訳される。(Wikipediaより)

キュレーション(curation)とは、
情報を選んで集めて整理すること。あるいは収集した情報を特定のテーマに沿って編集し、そこに新たな意味や価値を付与する作業を意味します。もともとは美術館や博物館で企画展を組む専門職のキュレーター(curator)に由来する言葉ですが、キュレーターが膨大な作品を取捨選択して展示を構成するように、インターネット上にあふれる情報やコンテンツを独自の価値基準で編集して紹介するサービスもキュレーションと呼ばれ、IT用語として広く使われています。さらに近年では、人材教育や組織開発の分野においても、価値創造を促す新たな役割としてキュレーションの概念に注目が集まっています。(Weblioより)

ボクは表現者のベクトルとしてキュレーターを選ぶ

前項の記載により、
アーティストは
ゼロやゼロに近い状態から、創造・創作において表現物をつくる、もしくは表現する人。
キュレーターは
情報を選んで集めて整理すること。あるいは収集した情報を特定のテーマに沿って編集し、そこに新たな意味や価値を付与する作業を行う人、イチをジュウにもヒャクにもしうる意味や価値を付加付する人

とボクは定義付け捉えてみた。

面白いのはキュレーターが先でその人が行うことがキュレーションであるということ。
アートとアーティストの関係はニワトリが先か、タマゴが先か、という感じであろう。

仕事において、ゼロからイチをつくっていく仕事をしたことも、
イチを二やサン、ジュウににする仕事もしてきた。

コーヒーを表現のツールと捉えたときに
ボクは”コーヒーとお客さん(飲む人)との間に自分を介在させない抽出、不必要な自己表現をしないこと”をモットーに、流儀としている。

そう捉えたときに、アーティスト的表現ではなく、キュレーター的役割が自分の目的であると考えた。

ボクの自身のバリスタ像は、
競馬におけるジョッキー、アートにおけるキュレーターなのだ。

キュレーター、キュレーションとの出遭い

前出のtwitterにも書いていることなのであるが、
2019年に名古屋市と豊田市で行われた
『あいちトリエンナーレ2019』が大きく起因している。

名古屋に住んでいることもあって、足繁く通った。
アートや芸術作品、パフォーミングアーツ、映像作品それぞれに感銘を受けたのはもちろん、「キュレーター」の仕事に感服したのだ。

自分の分野・領域においてキューレーターのような仕事、キュレーターになりたいという想いが芽生えたのもその時である。

"情の時代" Tarming Y/Our Passion をテーマに
芸術監督に 津田大介 氏を据え、あいちトリエンナーレ2019
2019/8/1-10/14の会期にて愛知県名古屋市と豊田市の複数の会場・エリアで開催された。(コンセプト

あいちトリエンナーレ2019は多くの人のイメージにおいて、
「表現の不自由展(・その後)」「(芸術監督)津田大介」のイメージが鮮烈であると思われる。
音楽プログラムにおいてサカナクションのパフォーマンス 『暗闇 -KURAYAMI-』 が行われていたことは少ないであろう。
『暗闇 -KURAYAMI-』は体験できていないし、残念ながら『表現の不自由展・その後』も体験できていない。
あいちトリエンナーレ2019に関しては改めて書けたらと思う。

そんなあいちトリエンナーレでの表現の裏方にあたるキュレーターやキュレーションにボクは感情を揺さぶられたのだ。

だから、コーヒーキュレーターとして、コーヒーキュレーションをし、コーヒーキュレーションサービスを立ち上げる

ボクのコーヒーワーカー(あえてバリスタではなく)としての流儀と
あいちトリエンナーレ2019との出遭いの後押しによって

コーヒーキュレーターを名乗り、ゼロからコーヒーキュレーターという仕事を構築し、コーヒーキュレーションを仕事とし、コーヒーキュレーションサービスを立ち上げ、コーヒーと人、コーヒーロースターと人を繋ぐことをしていく。

その先にこの国におけるサスティナブルなコーヒーワークを実現するために。

コーヒーキュレーションサービス「mamedana(マメダナ)」のこと、進捗。
サスティナブルなコーヒーワークのこと、進捗は追って


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