ひきこもごものすーちゃん
私もそこそこよいお年頃なので、親戚や知人、色々な人たちの最期を見届けてきた。
悲しいお通夜、涙なみだのお葬式。
亡くなった本人がどんなに老衰で天寿を全うしようが、闘病の末の完遂の人生であろうが、見送る側はいつだってもう会えないんだという喪失感と、行き場のない寂しさを空中にフヨフヨと漂わせながらこの日々をやり過ごす。
数年前、私の大好きだった大叔母が亡くなった。半年間の闘病の末、彼女を慕う大勢の親戚に見守られながら病院で静かに息を引き取った。
私の母方の祖父の妹である大叔母は、子供はいなかったが、甥・姪である私のお母さん姉弟を我が子のように、そしてその子供らである私達を我が孫のように可愛がり、「彼女に世話になった人はいない。」と誰もが言うほどの面倒みのよい優しい優しい人だった。
そんな大叔母(以下、通称すーちゃん)のお通夜の日、私たち親戚は棺桶に眠るすーちゃんの横で、寝ずの番を兼ねて明るく見送ろうと小さな宴会を始めた。
しかしほぼ全員大酒呑みの陽気な一族なのが災いし、小宴会は大宴会となり、葬儀屋が用意した酒を飲み干し、お母さんの妹である叔母と私の下戸2人が酒を買い足しに行かされる羽目になり、”あいつら全員すーちゃんに祟られるがいい!”状態だった。
そんな大宴会を横目にシラフの叔母が「ねぇ、もう一回すーちゃんの寝顔見ない?」と聞いてきた。「うん!見たい!私さっきはちゃんとすーちゃんの顔見られなかったし。」と私は賛成した。
棺桶の小窓を開けて覗き込むと、ほっぺに綿の詰まった少し痩せたすーちゃんが眠っていた。
生前、「抗がん剤治療で抜けた髪の毛を隠すための良いカツラを教えて欲しい」と美容師である私はすーちゃんからお願いされた。
私はすぐに手配し、「プレゼントだよ!」と言って宅配便で送った。
そして今、あのカツラは目を閉じたすーちゃんの顔の周りを覆っている。すーちゃんが棺桶に入る際に叔母が被せてくれたそうだ。しかしふと私はすーちゃんの違和感に気づいてしまった。
「叔母ちゃん…すーちゃんのヅラ、前後ろ逆じゃね?」
「…えっ?」
前髪があって後ろは肩につくくらいのミディアムヘアであったはずのすーちゃんが、襟足は短く前髪は鬼太郎の様にウザめに分けられたナルシストボーカルヘアみたいになっている。
「うそ!?私間違えとる!?」
「うん。コレ完全に逆だね。」
しばらく棺桶に寄りかかり、2人で笑いをこらえられず動けなくなった。
ふんわりブローされた前髪がかわいかったはずのすーちゃんが、暗黒のルシファーみたいになっている。
腹を抱えて動けなくなっている私たちに気づいた酔っ払いたちが、ワラワラと寄ってきて事情を聞き、みんな代わる代わるすーちゃんの顔を覗き込んでは笑い始めた。
犯人の叔母はまだ肩を震わせて動けずにいた。
それからみんなで棺桶の蓋を開け、私の手によりあるべき姿にも戻ったすーちゃんに、みんなが「ほんまじゃ!これじゃわ!」と納得の様子をみせた。
なぜみんな私が言うまで気づかなかったのか。
そして翌日の葬式では親族の半分以上が二日酔いのままグロッキーな姿で参列し、酔っ払いの介抱に疲れきった私はお経の時間に寝る始末。親戚陣の誰かしらが船をこぎ、お焼香の際に左右前後からド突かれ、叩き起こされたりしていた。
当時20歳ソコソコで葬式作法を何も知らないいとこの男子は、二日酔いのぼんやりした意識の中、私から「お焼香の粉をペロペロペロと3回食べて、『ご馳走様でした』って言うんだよ。」と大ウソを教えられ、信じそうになっているのを私の妹に大慌てで訂正されていた。
すーちゃんが焼かれている間も、かつて子のように・孫のよう可愛がられた二日酔いの大人たちは、喫煙所でタバコをパカパカとふかしながら、昨夜のすーちゃんヅラ事件を振り返り、大盛り上がりしていた。
「いつかここにいる全員バチが当たるな。」と煙突から煙となって昇っていくすーちゃんを見ながら私は思った。
でも優しいすーちゃんなら「もー!ほんまアンタららしいわぁ!」と笑って見逃してくれるかもしれない。
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