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病院が好き
病院が好きです。
ただこういう風に書くと誤解を招く可能性があるので勘違いしてほしくないのは、
例えば病院に診察に行くのが好きだとか、治療を受けるのが好きだとかそういうことではない、ということです。
私はもっと根源的に、心の奥底で病院のことを―愛しています。
「病院」を探す旅
私は大学生の頃、まだ今よりもっと精神病が悪かった。
その頃のことだったと思います。
深夜に自転車で公園にでかけました。
私は長い草の生い茂る大きな池を見て、
「ここが私の"病院"かもしれない。」
また他のさまざまな場所を見て、
「ああ、こここそが私の"病院"なのかもしれない……。」
と、そのように思いながら夜の公園を彷徨いました。
でも、どこに行ってもどこを探しても「私の病院」は見つかることがなかった。
こんなところに「病院」などあるわけがないということは、本当は心のどこかではわかっていたと思います。
それでも私は見つけたかった。
私の、私だけの―
本当は「死に場所」を探していたのかもしれない。
NICUの思い出
私はいわゆる未熟児―低出生体重児としてこの世に生まれました。
ギリギリ肺の機能が備わっていたことから、人工呼吸器は必要なかったらしい。
それでも生後まもなく、しばらくの間はNICU(新生児集中治療室)で過ごすこととなりました。
もちろんその時の記憶などないので、本当はNICUの思い出などはありません。
それでも記憶のどこかには、「NICUの思い出の欠片」が残っているのかもしれない―
病院と自身との関係について考えた時、どうしてもそのように思わずにはいられません。
病気になった母のお見舞い
私が浪人生の頃、母と喧嘩をしました。
喧嘩してからややあって、母は病気になりました。
幸い命に関わるような病気ではなかったものの、しばらく入院することになり家族でお見舞いに行きました。
私は母とどんな顔をして会ったらいいのかわからなくて、気まずくてしょうがなかった。
父が自動販売機に飲み物を買いに行って母と2人きりになった時、広間の丸いテーブルで母と私は2人向かい合っていた。
病気で弱々しく、どこかひとまわり小さくなってしまったような母は、うっすらと微笑んでいた。
自分がどんな表情をしていたのかはわからない。
すっかり人生に行き詰まってしまった自分が、母親にどんな感情を向けたらいいのかその時の私には見当もつかなかった。
病院は生と死の香りに満ちていて、それはまるで始まりと終わりを同時に内包しているかのようだった。
恐怖と安心感が同時に湧き上がるような不思議な感覚。
その当惑する感覚に、私は得も言われぬ浮遊感を感じた。
私と病院
私は病院のことを生まれ故郷か何かだと勘違いしているのかもしれない。
それでも、そんなわけはないと頭ではわかっている。
今でも病院に行くと、扉の隙間から覗く医療器具に目を奪われる。
冷たくて、硬くて怖くて、それでも私を救ってくれる医療器具。
行きたくなくて、痛いのも苦しいのも嫌で、それでも私を救ってくれる病院。
冷たくて無機質なのにどこか温かみを感じる廊下、壁、天井、医療器具、検査器具、並んだ診察室…
私は「病院」のことを―
愛している。
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