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適応障害の症状をどこまで理解してもらおうとするかっていうお話
適応障害の症状をどこまで理解してもらおうとするかって話
※エピソードのナンバリングがあんまり関係なくなったのでやめました。テーマをそのままタイトルにします。
こんにちは。ライアンです。
本日は、『適応障害をどこまで理解してもらおうとするか』ってお話を
記事に書いていきたいと思います。
と言うのも、先日高校の同じ部活の同期と話す機会がありました。
当然、仕事やプライベートの話にもなりまして、私はサラッと
現在、メンタルで体調を崩し、2月から休職しているということを伝えました。
全く知らなかった友人は、大丈夫?と心配してくれましたが、
話題が話題なために、それ以上突っ込まれることはありませんでした。
そして、今度飲みにでも行こうと誘ってくれました。(本気で飲み行こうというよりかは、まあ一種の社交辞令みたいな感覚で言ってくれたのだと思います。)
高校の同級生はある意味、同郷ですしなんのしがらみもなく
フラットな関係性ですので、変に背伸びせずにこうして伝えられます。
そして彼の反応も非常に感謝してます。
しかし、その時やっぱり再確認したのです。
『飲みにいって解決したら、苦労しないぜ』と。。
そして『この症状や体調のこと、仕事での苦しさも本人じゃなきゃわからないから、あまり苦しくてほんとうに大変だったということを、伝えようとするのはやめよう』と。
その友人に対しての敵意などは全くありません。むしろ感謝しかないのですが、
結局、飲みに行って解決されたら苦労しないよ、って思っちゃったんです。
もちろん、コミュニケーションをとること、社会性を保つ為にその機会の場を設けること、
などの意味では、非常に大きいと思います。
だけど、根本は解決しないと私は思っちゃいました。
だからこそ、自分で自分を救い上げていくことが大切なんじゃないかと思いました。
そして、症状をいくら伝えても、やはり本人じゃないから究極的には分かり得ないとおもいました。そしてわかってもらおうと必死に説明しても、理解されないことのギャップに苛まれてしまうので、そのギャップ値を広げないためにも、あまり理解されようとしないことにしました。(事実は伝える)
もちろん本当にヘルプが必要な時は、伝えた方がいいです。それは間違いない。
周りのサポートを借りつつ、こういった症状やこういう時には、これが楽になるな、とか
セルフケアにも重点を置くようになりました。
ここら辺はやはりバランスが大事だと思ってます。
サポート受けすぎると、周りもそうですし、自分の自己肯定感の問題にもなってくるので、
非常に難しいラインだと思います。
取り止めのない文章になりましたが、
先日ふと思ったことでしたので、記事にしました。
私もバランスを大事にリハビリを進めていきたいと思います。
つづく
RYAN