「問いを投げっぱなしみたいな作品は面白くない」 アーティストは暫定的な解答を要する
やっとのこさ文章を書く気持ちが戻ってきたのでこのnoteを書いてます。
1月中旬から新有楽町のソノアイダにて滞在制作、および成果展を行ってました。素敵な機会をくれた株式会社アトムさん、そして制作のご協力・ご支援頂いた皆さん、ご来場頂いた方々本当にありがとうございました。
レジデンス、ぶっちゃけ辛すぎましたww
短い時間でその土地の歴史や違和感を発見し、作品にしてプレゼンすることの難しさ。元々アトリエにこもらず外出てくタイプなので、中で通りの人に見られながら考えたり(しかも僕以外の2人はゴリゴリ作ってる笑)自分のペース掴めなかった。毎日が「文化祭の前日」という感じで、死ぬほど大変だけど死ぬほど楽しい、作家人生とは恐らく死ぬまでこれの連続で、フルタイムアーティストって本当体力凄いな、などと思った次第です。
「ATOM ART AWAR2022」というアワードで、ホットサンドメーカーの作品でソノアイダ賞を頂いてレジデンスの機会を頂いてるのにも関わらず、ホットサンドメーカーを使わず、「占領下の日本」を題材に、戦争に負けるとはどういうことか、占領する・されるとはどういうことか、について考え、映像作品を中心に制作しました。
こうした作品を作ったキッカケは昨年夏ホットサンドメーカー持って旅してる時にウズベキスタン移民の友人から「日本はアメリカに原爆落とされたけどアメリカのことどう思ってんの?」と尋ねられたことからかもしれない。
アメリカに留学してる時から度々こういう話はあったけど、明確に自分の意見を言えず、何かしら解答は用意したいと思っていました。
また、ドクメンタやヴェネツィアビエンナーレなどで脱植民地主義を題材とした作品が多かったこと。12月に旅した台湾で日本統治時代を扱った台湾人作家の作品をみて感じたことや、ホットサンドメーカーで挟めない挫折(台湾は中国から独立したい、中国は台湾を...)そのタイミングで有楽町で制作の機会をいただき、この辺りはGHQの本拠地だったと知り、興味の赴くままやるしかねぇな、という流れです。昨年夏からずっと旅してる気分。
日本とアメリカの関係性について明確な意見出せてませんが、未だある日本なのに日本人が入れない場所、例えば横須賀や沖縄など、他の土地の話と完全に地続きです。そういう意味では戦争は終わってないし、ロシアがウクライナの建物を接収しているとか公用語をロシア語にとか、永遠に続いています。
ここからは展示期間中に受けた自分の作品に対する講評/批評についてです。
一緒に滞在制作していた藤元明さんが僕がいま在籍している藝大の先端芸術表現科の元助手ということで、先端出身のOBが20名(!)ほど駆けつけてくれました。
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