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修了作品解説論文「流されずに流されていく」 5章 おわりに:「流されずに流されていく」ということ

本記事は修了作品解説文の5章です。4章はこちら。

ここまで、自身の生い立ちや原体験、美術作家として活動をはじめる前の仕事を紹介しながら、どのような経緯と必然性を持って現在の表現手法に行き着いたのか。また、「歩行」という行為がどのような意味を持ち、この社会と自身の生き方に作用するのか、先行作品や事例を参照しながらこれまでの実践を紹介してきた。

つまるところ「流されずに流されていく」とは、どのような状態や態度を意味するのだろうか。

それは、ヴァルター・ベンヤミンの語る「自分の居場所を知りつつ迷子になっている」状態であり、ジェニー・オデルが提唱する「第三の空間」を創造し続けることでもある。あるいは、ミシェル・ド・セルトーの「戦術」の実践とも言える。つまり、押し付けられた秩序を相手取って狡知をめぐらし、従いながらも身の回りのものをブリコラージュして活用することで、そうした秩序をすり抜け「なんとかやっていく」ための技芸。新自由主義的な教育と風潮、変わりゆく日本の労働観の中で名乗った「プロ無職」という肩書きは、時代の圧力との距離を模索したゆえの選択だった。第3章で論じたように、SNSプラットフォーム上で表現活動を行う中で、数値化や言語化に還元されない表現の可能性を探るようになった。

デジタル技術やアルゴリズムによる管理が進み、効率性や生産性が絶対的な価値として君臨する社会において、ソローが森で生活をはじめたような完全な逸脱や抵抗を試みることは必ずしも有効ではない。むしろ、そのシステムの中に身を置きながら、なお予測不可能性や偶然性を取り入れていく余地を見出すことが重要である。「流されずに流されていく」とは、システムによる支配を認識しつつ、なおその中で主体的な実践を見出す態度なのである。1章の「はじめに」で述べたように、ひとつの言語的意味への還元は避け、複数性に開かされたものであって欲しいと考えているため、完璧に定義せず余地を残しておく。

また、このような実践の哲学的基盤を考える上で、ソローの「途上にあり続ける生き様(Finding as founding)」は重要な示唆を与える。齋藤直子はソローのそぞろ歩き、そして途上にあり続ける反基礎付け主義としてのwalkingを、「自分を超えるものの到来に身を委ねることによってこそ発見されてゆく目的という、法外な生き様を体現する哲学である」と述べている。

目的を据えずに目的が発見されてゆくということは、今、この時を生きることによって、そのつど方向性を定めることしかできないという、途上にあり続ける生き様を含意する。
(引用-20)

齋藤直子『ソローのWalkingと生き方としての哲学』ユリイカ2024年6月号 特集=わたしたちの散歩、青土社(2024)p.34

もちろん、途上にあり続けることは容易ではない。基礎を据えない歩き方は、度を越してさまようという不確定さを伴い、それはリスクテイキングな生き様を体現する。しかし、目的地を持たないそぞろ歩きによって、飼い慣らされていない「野生(The Wild)」を取り戻し、その果実としての「美しい知識(注7)」を獲得する可能性に開かれる。それによってソローは晩年、人々が通常なす以上にはるかに生きがいのある、しかり、「死にがいのある人生を送った」と著書『Walking』で述べたのである。

【注釈】
7)齋藤はソローの「役立つ無知とは、”美しい知識”とも呼べるような、より高度で役にたつ知識のことである。・・・人間の無知は、役立つだけでなく美しくもある」という言葉を引用しながら、美しい知識について「これまで知っていると思っていたものが閃光とともに砕かれ、驚きとともに到来する知識とは、対象として直接光を当てることができないようなもの、直接把捉することができないものである。それは、光を当てることによって把捉しようという己の認識の様態を捨てて、自らを明け渡すことによって初めて享受できるような知識である。これをソローは”美しい知識”と呼んでいる」と述べている。

ソローの思索は、「流されずに流されていく」という概念と深く共鳴すると考える。それは決して完成されたものではなく、常に更新され続ける実践の指針として機能する。途上にあり続けながら、テクノロジーの発展や社会システムの変化に応じて、新たな「漂流」の形を探っていく必要があるだろう。それは、終わりなき歩みである。

【謝辞】

本研究を進めるにあたり、多くの方々からご指導とご支援を賜りました。
 
まずは研究室の指導教員である八谷和彦先生、終始温かく活動を見守っていただき深く感謝申し上げます。副査の小沢剛先生、西尾美也先生には都度制作相談に乗っていただき、アドバイスには勇気をもらいました。在学中に山城知佳子先生の映像演習でご教示いただいた講評や頂いた言葉は、制作において何度も振り返る重要な指針となりました。心より感謝申し上げます。
 
留学先のパリ国立高等美術学校では、Claude Closky教授の下で1年間学ぶ機会を得られ、自分の作品を通じて、海外の人たちとコミュニケーションが取れるということに、大きな自信を得ることができました。現地でも多くの人たちに助けられ、留学をやり切ることができました。
 
学外においても、多くの方々からご支援をいただきました。A-TOM ART AWARD2022を主催する株式会社A-TOM、CAF賞を主催する公益財団法人現代芸術復興財団には、在学中にコンペティションで選出いただき、美術門外だった私の活動の幅を大きく広げる機会を与えていただきました。マイクロ・アート・ワーケーションで採択いただいたアーツカウンシルしずおかの皆様、受け入れホストとなってくださった吉原中央カルチャーセンターの皆様には、新たな創作の場を提供していただきました。吉原でのプロジェクトについては引き続きよろしくお願いします。今年度は文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業のご支援により、個展とワークショップの開催が実現しました。そして、長年活動をサポートいただいている株式会社リツアンSTC、株式会社ONWAの皆様にも心より感謝申し上げます。最後に、修士課程を共に過ごした同期や、いつも制作協力・支援してくれる全ての友人たちにも深く感謝いたします。

【引用文献】

1.村上龍『13歳のハローワーク』幻冬舎(2003)p.3
2.三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』集英社(2024)pp.146-147
3.同上p.170
4.レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』東辻賢治郎訳、左右社(2017)p.14,20
5.トマス・エスペダル『歩くこと、または飼い慣らされずに詩的な人生を生きる術』枇谷 玲子訳、河出書房新社(2023)p.239
6.齋藤直子『ソローのWalkingと生き方としての哲学』ユリイカ2024年6月号 特集=わたしたちの散歩、青土社(2024)p27
7.同上p.1,pp.8-9
8.同上pp.8-9
9.レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』東辻賢治郎訳、左右社(2017)p.368
10.ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』山田登世子訳、筑摩書房(2021)p.236
11.同上p.247
12.滝波章弘『 シチュアシオニスト・シティとしてのパリ 一漂流、心理地理学、ドキュメンタリー映画一』p.2
13.同上p.3
14.ヴァルター・ベンヤミン『暴力批判論 他十篇』「1900年前後のベルリンの幼年時代」野村修編訳、岩波書店(1994)P.267
15.レベッカ・ソルニット『迷うことについて』東辻賢治郎訳、左右社(2019)p.12
16. Henry David Thoreau『森の生活――ウォールデン―― WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS』 神吉三郎訳、青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/001209/files/54189_68486.html
17.ジョニー・オデル『何もしない』竹内要江訳、早川書房(2021)p123
18.ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』工藤晋訳、左右社(2014)p.127
19.Tokyo Art Beat『志賀理江子×竹内公太「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023受賞記念展」(東京都現代美術館)を作家のコメントとともにレポート。私(わたくし)への旅へ誘う展示』
20. 齋藤直子『ソローのWalkingと生き方としての哲学』ユリイカ2024年6月号 特集=わたしたちの散歩、青土社(2024)p.34

【注釈】

1) 1980年代前半から1990年代半ばまでに生まれ、デジタル技術やインターネットの発展とともに成長した世代。
2) インターネットやSNS上で特定の話題が急激に拡散され、多くの人の注目を集めること。
3) 情報過多の現代社会において、人々の注目や関心が経済的価値を持つという経済学の概念。日本語では「関心経済」「注意経済」とも呼ばれている。
4) 自動車を使用せずに歩いて移動できる(バスなど公共交通機関の利用を含む)街のこと。さらにパリ市は「15分都市(歩いて15分、自転車なら5分ほどの圏内で暮らせる生活環境)」を目指している。
5)「行動変容ホイール」についてはMichie S, van Stralen MM, West R.“The behaviour change wheel: A new method for characterizing and designing behaviour change interventions.”Implement Sci.(2011)を、「Information-Motivation-Behavioral skills model」についてはFisher,J.D.& Fisher,W.A. (1992).”Changing AIDS-risk behavior.”Psychological Bulletin, 111(3)を、「計画的⾏動理論」については、Ajzen, Icek. “The theory of planned behavior.” Organizational behavior and human decision processes 50.2 (1991)を参照している。
6)The Henley Passport Index https://www.henleyglobal.com/passport-index
7)齋藤はソローの「役立つ無知とは、”美しい知識”とも呼べるような、より高度で役にたつ知識のことである。・・・人間の無知は、役立つだけでなく美しくもある」という言葉を引用しながら、美しい知識について「これまで知っていると思っていたものが閃光とともに砕かれ、驚きとともに到来する知識とは、対象として直接光を当てることができないようなもの、直接把捉することができないものである。それは、光を当てることによって把捉しようという己の認識の様態を捨てて、自らを明け渡すことによって初めて享受できるような知識である。これをソローは”美しい知識”と呼んでいる」と述べている。

【図版出典】

Fig.5: Tokyo Art Beat
https://www.tokyoartbeat.com/events/-/2017%2FF400
Fig.7: FRANCIS ALŸS – «THE LOOP»
https://reader.digitalbooks.pro/content/preview/books/46159/book/OPS/FRANCIS_ALS__THE_LOOP_0004_0002.htm
Fig.10: Pilvi Takala — The Trainee
https://pilvitakala.com/the-trainee
Fig.12: 志賀理江子×竹内公太「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023受賞記念展」(東京都現代美術館)を作家のコメントとともにレポート。私(わたくし)への旅へ誘う展示
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/lieko-shiga-kota-takeuchi-TCAAexhibition-report-202303
Fig.14: スペイシャル・ポエム No.1「言葉のイヴェント」 | ToMuCo - Tokyo Museum Collection
https://museumcollection.tokyo/works/6384213/
Fig.15: ポップ・アップ・アート コレクションとパフォーマンスを楽しむ|金沢21世紀美術館
https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=160&d=1826
 

【参考文献】

ⅰ.Rebecca Solnit, “ウォークス 歩くことの精神史”、東辻賢治郎訳、左右社(2017)
ii.Rebecca Solnit, “迷うことについて”、東辻賢治郎訳、左右社(2019)
iii.Tomas Espedal, “歩くこと、または飼い慣らされずに詩的な人生を生きる術”、 枇谷玲子訳、河出書房新社(2023)
iv.Henry David Thoreau,“ウォーキング”、 大西直樹訳、春風社(2005)
v.Henry David Thoreau, “森の生活:ウォールデン”、 飯田実訳、岩波書店(1995)
vi.齋藤直子、“ソローのWalkingと生き方としての哲学“、『ユリイカ2024年6月号 特集=わたしたちの散歩』、青土社(2024)
vii. Michel de Certeau, “日常的実践のポイエティーク”、山田登世子訳、筑摩書房(2021)
viii.Guy Debord, “スペクタクルの社会”、木下誠訳、筑摩書房(2003)
ix.Tim Ingold,“ラインズ 線の文化史”、工藤晋訳、左右社(2014)
x.冨安歩“複雑さを生きる: やわらかな制御”、 岩波書店(2006)

【付録】

山口塁 個展「流されずに流されていく」
会 期:2024年11月1日(金)~11月17日(日)
時 間:12:00~19:00
休廊日:月曜日
会 場:コートヤードHIROOガロウ

《Swept along, but not swept away》(2024)指示書


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