子供の人権の軽視
最近テレビのニュースをみていた。そのニュースの内容は近年明るみに出始めている、児童虐待である。そしてその番組内で子供の虐待はダメだという直接的な法律がないことは問題とテロップに流れる。
ここから私はそもそもまだ子供の人権や子供自体が軽視されているから、この大問題が起きるのではと思った。
それに近年やっと明るみに出たが、つい最近までは子供の人権が軽視されるのを特に問題があるとしなかったのだ。そしてそれがまだ根強く残っているのをよく実感してしまう。
例えば学校でこのルールはおかしいのではと一人の子供が言うとしよう。そうすると大人は「ああそうかもね」と言って軽く流す。一人一人の意見または大事な個性を重要視すらしないのである。
なぜなら単なる子供の意見だから、場を乱す子は要らないのだ。人権を軽視するから発言もかすんで見える。
それに私は違和感を覚え、反発して意見を言ったが今のところこの集団は変わらないと思ったりし、そして一般的な非個性的な学校に合わず不登校になった。もちろんそれだけの理由ではないが。
しかし私は社会のせいだと被害者意識を持つのはやめた。なぜなら理由は簡単、キリがないし変わるものがないから。たしかにこれからは少しは子供の人権の軽視は変わるかもしれない。だがそれを待ち続け文句を言うのは気がひける。
絶対に100%解決にはならないのが現実であり、少しはできる事があるということもあるかもしれない。少なくとも私はあると思う。
子供だからと、軽視する人は変わらないしそういう考え、アイデンティティのある人もいる。
しかしもし違和感があるならば私は個性を捨てる事ができないし、そのままなすがままはひどすぎると個人的に思う。
それに個性をわざわざ捨てたり意見をオトナに合わせて変えなくてもいいのではと純粋に思う。
#るうす #不登校 #不登校小学生 #アイデンティティ #子供の人権 #個性 #学校 #被害者意識