(2023/04/26/水)7号墳(生目古墳群)の入り口の模型と、儀式(葬送儀礼?)で使われた土器。
本日紹介します写真は、先週(2023/04/16/日)宮崎県宮崎市生目に有る国指定史跡・生目古墳群・遊古館(埋蔵文化財センター)に行った際に撮影した写真です。
撮影した写真を備忘録としてここに残して行きたいと思います。
本日の写真
7号墳の全体模型
この模型は遊古館(埋蔵文化財センター)の展示室に展示されている、7号墳の立体模型です。
現地に設置された案内看板によると、7号墳の周りには地下式横穴墓が有るとの事でしたが、模型を見ると確かに大量の地下式横穴墓が有る事が判ります。
発掘作業中の7号墳の写真がラミネート加工されて、立体模型の下の部分に張られていました。
この写真が撮影された当時には既に、後円部が削られていたようです。
いつ削られたんでしょうか?
7号墳の模型の下、中央部に解説文が書かれていました。
又、解説文の右上には、子供用の解説プリントがカラフルなマスキングテープで貼られていました。
(使われているマスキングテープは、以前壺形埴輪で使われていたマスキングテープとは違う様です)
7号墳入り口の模型
上記の7号墳立体模型の後には、黒いビニールマットが掛けられていた、発掘途中の7号墳に側面に造られた18号地下式横穴墓の入り口が再現されていました。
この入り口の模型の右上に、模型の解説文が有りました…
7号墳の造り出し部(儀式を行った場所?)から出土したもの
この入り口の左右には、7号墳から発掘された大量の須恵器や陶質土器が展示されていました。
これらは造り出し(儀式の場?)から出土したものでしょうか。
7号墳に有った解説パネルの造り出し部から発掘された土器の写真の中に、左側にある背の高い須恵器の器台の脚の様なモノが映っている様ですが…
展示スペースの右下に、解説パネルが有りました…
なるほど。
やはり、ここに展示されている須恵器や陶質土器は、7号墳の造り出し周辺から発掘された物の様です。
この背の高い須恵器の器台も、7号墳前の解説パネル内の写真に写っている物なのかもしれません。
でも、三角形の形や間隔、バランス等が少し違う様な気がします…。
又、写真では判り辛いですが、器台の全面にかなり細かく密集した櫛描紋が施されていました。
その他、高坏や、蓋つきの壺、大きなボウル状の土器が沢山ありました。
須恵器の器台の横には、同じく脚の部分に三角形の透かしが施された蓋つきの壺が有りました。
こっちの壺の方が須恵器の器台より、写真に写っている物に近いでしょうか?
良く判りません…
この壺の横には、ボウル状の須恵器が展示されていました。
こちらの器にも櫛描紋が施されています。
かなり深くはっきりと櫛描紋が施されています。
上記の展示ケースの後ろを振り返ると、更に7号墳出土土器の展示が有りました。
展示ケース内手前には、違う解説パネルが設置されていました。
なるほど。
確かに宮崎で発掘される須恵器や陶質土器は、以前調べた時に、大阪府堺市陶邑窯跡産の物や、愛媛県市場南組窯跡産の物等、遠くから運ばれてきているとの事だったので、かなり貴重な物だった様です。
(ここに展示されている須恵器や陶質土器の産地を聴き忘れました。今後調べてみたいと思います。)
それらの貴重な須恵器や陶質土器を、儀式の為に大量に集めた後、惜しげもなく打ち捨てる事ができたと言う事は、7号墳の被葬者は、相当力の有る権力者だったのかも知れません。
これらのボロボロの土器類は、当時の権力者の力を表している物の一部の様です。
感想
古く、巨大な古墳が乱立する生目古墳群ですが、現在、この生目古墳群に葬られた方々の出土物以外の情報は、あまり残されていない様です。
この様に一度栄えて衰退した人々の残した豪華な遺物や、荒廃した墓地(古墳)を見ると、平家物語の冒頭部分を思い出します。
自分で訳してみました…。
(言葉を繋げただけですが…)
長年放置されて崩壊した立派な作りの古墳や、今は意味も伝わっていない何らかの祭祀や儀礼の為に使われた、精緻な作りの土器や遺物の数々を見ると、この平家物語冒頭部分ほど、ぴったりとはまる言葉は無い様な気がします。
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