③ 【 摂食障害への入口 】父の死からの日常の変化とダイエット成功、そして、高校卒業
【 日常生活の変化 】
諸々事が落ち着き、
母が子供二人を育てるために、
それまでパート勤務だった会社で正社員になり、
朝は7:30頃には出て、
帰宅は毎日21:00より遅くなりました。
それまで毎日お弁当だったのが、
お金を貰って何か買う日も増え、
夜も自分で買って食べる日も出てきました。
【 国立病院ダイエット 】
ぼんやりとしか覚えていませんが、
この頃から自由になったこともあり、
当時はやっていた「国立病院ダイエット」というものを始めました。
「国立病院ダイエット」を知った経緯は、
あまり覚えていないのですが、
確か母が貰ってきた紙切れか何かをたまたま見て、だったと思います。
2週間の朝昼晩のメニューがきっちり決まっていて、
それを厳密に守る、ただそれだけ。
それが終わったら体内で化学変化が起きて、
何を食べても太らない体になると、
そのような事が書かれていた気がします。
ちゃんと食べられて運動もしなくて良いなんて、
まるで魔法のようでした。
マニュアル通り、2週間続けました。
ゆで卵、トースト(バターなし)、サラダ(ノンオイルドレッシング)、グレープフルーツ、
ブラックコーヒー etc…
が主なメニューで、
たまにチキンや、ステーキも登場します。
お菓子や完食は不可、飲み物も制限されます。
日々考えていたのは、
・終わったら⚫⚫を好きなだけ食べたい
・食べ放題に行きたい
痩せたい気持ちよりも、
むしろそんな事ばかりでした。
それでも何とか2週間のミッションを乗り越え、
太らない身体を手に入れました。
手に入れたのでしょうか?
確かに、
それまで我慢していたものを食べても
さほど増量はしなかった気はします。
周りからは
「すごく痩せたね!何したの!?」
などと羨ましがられ、
心の中でバンザイし、
ひとり達成感に浸っていました。
とはいえ、
ちょっと太ったりしたのか、
やがて常にダイエットを意識するようになり、
朝ごはんだけ好きなものを食べ、
夜にかけて制限する、
夜ご飯はキャベツにドレッシングだけ、
など…。
自分に対して凄くストイックで、
試合前のボクサーのようになっていました。
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【 進路 】
私の高校は進学校で、
周りの子の進路はほぼ大学進学希望でしたが、
私は専門学校を希望しました。
大学へ行きたい子たちはみな、
「大学で遊ぶ!」と口を揃えて言うのです。
大学生全てがその様なスタンスでは無いとは思いますが。
その無駄な時間を過ごすなら、
2年頑張って勉強して資格取って早く働きたい!
私はこう考えていました。
就職率の良い医療秘書の専門学校へ推薦していただき、
無事推薦合格しました。
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【 春休み中の生活 】
高校3年の2月頃からはほぼお休みになり、
大学受験の無い私は、
自動車の運転免許取得のため教習所へ通い、
それ以外はアルバイトをする日々を過ごしていました。
平日の早朝と夜は某コンビニ、
週末は終日クリーニング店の受付
―― 朝5:30 ――
誰よりも早く起き、
前日に買っておいたマックやら、
夜ご飯を残しておいた物(夜は控えるので翌朝に食べる)など好きな物を食べ、
モデル腹筋(雑誌で読んだ100回腹筋するというもの)をする。
―― 6:20~6:50 ――
徒歩でバイト先へ向かう。
―― 7:00~9:00 ――
コンビニの早朝バイト。
終わったら教習所へ直行。
日中はみっちり教習所、
終わったらバイトのある日は再びコンビニのアルバイト。
ちなみに、
モデル腹筋は18歳から初めて、
20年以上経った今でも毎朝続けています。
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大学病院ダイエット成功以降、
朝は好きなものを食べよう!と決めていました。
朝はしっかり、夜はヘルシーな食生活。
とにかく朝は寒かったけれど、
1駅隣の勤務先まで約20分、
好きな音楽を聴きながら歩いて通う。
それが毎日の楽しみでもありました。
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【 高校卒業 】
そんな生活を2月、3月と続け、
運転免許も無事に取得し、
晴れて高校を卒業しました。
入学式は父が来てくれましたが、
私にはもう父はいません。
確か、弟の高校と日程が別だったのか、
卒業式は母が来てくれた記憶があります。
あれだけ入学式に父が来るのが嫌だったのに、
居なくなると寂しくなってしまうのでした。
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そして、
この頃から、
「摂食障害」のトンネルの入口に迷い込んでしまったのではないかと思われます。