41歳の私が今どの辺にいるかと言うと、 恐らく、 摂食障害の長ーーいトンネルの 出口は見えて分かっているけれど、 どうやって出たら良いのか分からない、 その辺なのかなと自分では思っています。 正直、 思い出したくない事もあるけれど、 同じように苦しんでいる人がこのnoteを読んで、 自分も乗り越えられるんだ! と思えたらいいなと… そんな気持ちで書いています。 一部の方へは不快にさせてしまう内容もあるかもしれません。 本当に申し訳ございません。 が、 ここではその時の気
遊んでいる大学生よりも早く社会へ出るんだ! という気持ちで進学した専門学校。 できる限り資格を取り、バイトもして…の生活。 その中で、 痩せ願望と食への意識も少しづつ歪み始める。 そして、 実家の転居もあり、新たな生活が始まります。 19年過ごした、父との思い出の詰まった家との別れでもあります。 【 入学式 】 入学式は学校でクラスのオリエンテーションのような軽いもので終わりました。 専門学校の教科書は7万円くらいで、 それを聞かされたのが入学式の数日前。 さす
【 日常生活の変化 】 諸々事が落ち着き、 母が子供二人を育てるために、 それまでパート勤務だった会社で正社員になり、 朝は7:30頃には出て、 帰宅は毎日21:00より遅くなりました。 それまで毎日お弁当だったのが、 お金を貰って何か買う日も増え、 夜も自分で買って食べる日も出てきました。 【 国立病院ダイエット 】 ぼんやりとしか覚えていませんが、 この頃から自由になったこともあり、 当時はやっていた「国立病院ダイエット」というものを始めました。 「国立病院ダ
愛猫の登場までこのペースだと長いので、 番外編として。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 2023年6月27日に40年夢見ていた 愛猫との生活が始まりました。 ゆずは、 とある猫カフェで里親募集の猫スタッフとして在籍していた子で、 マンチカンの1歳半(当時)の女の子です。 ゆずに初めて会った時に、 「この子だ!」と直感で感じ、 受け入れを決めました。 細かい馴初めはまた追追お話するとして…。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 猫はその時々を生きています。 好きな時に食べて、寝て、走っ
正確には、 「父が亡くなった」ですが、 私の心の中で父の死を受け入れられていないようで、 「消えてしまった」ような感覚でした。 そのため、 タイトルは「父の肉体との別れ」としました。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 【 葬儀 】 母がとにかく早く動いてくれて、 葬儀も直ぐに手配されました。 この辺りの事は 本当に目まぐるしがった事しか記憶がありません。 悲しみに浸る暇もなかったような気がします。 父は、春頃から入院していたので、 「父が家にいない生活」には慣れていました。
いつから何がおかしくなった、というのは 正直なところ分かりません。 何故そうなったか、 それがわかっても摂食障害を治す薬も手術も無い訳で、 とにかく治すのは自分なのだ。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 【 中学時代 】 中学の定期試験の順位は、 学年13位からスタートし、 8位、5位、3位、 そして、憧れだった1位になり、 私はそれを必死にキープした。 毎回試験二週間前には、 トータル120時間は勉強していた。 自分の脳内で、 「私は1番であるべきだし、1番でなければならな
現在41歳の私は、 摂食障害の診断をされて約20年程経ち、 気づけば人生の半分を摂食障害(拒食、過食嘔吐)と共に生きて来ました。 摂食障害、 ただ食べられなくなるとか、 過食が止まらないとか、 そんな単純な病気ではありません。 「食べる」というのは人を繋ぐということであり、 「食べる」ということは生きる事そのものなのです。 摂食障害により、失ったもの、得られたもの、 どちらも沢山あります。 仕事しながら生活できるのか、恋愛はできるのか、夢は叶うのか…。 私のプロフィ