![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130922850/rectangle_large_type_2_ae0594217bf8bf0eae4e42386009a2ea.png?width=1200)
④ 【 拒食と嘔吐 】専門学校から社会へ
遊んでいる大学生よりも早く社会へ出るんだ!
という気持ちで進学した専門学校。
できる限り資格を取り、バイトもして…の生活。
その中で、
痩せ願望と食への意識も少しづつ歪み始める。
そして、
実家の転居もあり、新たな生活が始まります。
19年過ごした、父との思い出の詰まった家との別れでもあります。
【 入学式 】
入学式は学校でクラスのオリエンテーションのような軽いもので終わりました。
専門学校の教科書は7万円くらいで、
それを聞かされたのが入学式の数日前。
さすがに母親に怒られつつも、無事に教科書を買って貰えました。
私は双子なのですが、
学資保険は何故か私の分だけ父が払ってくれていたそうで、
そのおかげで1年目はそれを充当し、
2年目は奨学金で通学しました。
それもあり、
私は中途半端で退学など絶対に出来なかったのです。
双子の弟は工業高校へ進学し、
卒業後は就職しました。
私も沢山資格を取得して、
早く社会に出たいと考えていました。
【 勉強とバイトの日々 】
授業は8:30から、1コマ90分。
それまで1コマ50分だったものが約2倍近く長くなり、
初日で疲れてしまいました。
朝は7:00頃に家を出て、
7:30過ぎには学校の最寄り駅に着き、
スタバで大好きなフラペチーノとスコーンを食べながら勉強するのが日課でした。
放課後はほぼ歯科助手かコンビニのバイト、
週末はクリーニング店の受付を終日ワンオペでしていました。
とにかく勉強とアルバイトに追われる日々。
【 食への変な拘り 】
「気に入ったら飽きるまで食べる」という偏食癖があり、
朝はスタバ、夕方はアルバイト先へ向かう間に
歩きながらカロリーメイト等の栄養補助食品を食べていました。
カロリー的には太るはずのない数値のはずなのに、
糖質が多かったのか少しづつ太ってしまいました。
国立病院ダイエットの効果は永遠では無いのか…。
この頃から、
太るのが怖くて肉類は食べられなくなっていたかと思います。
やがて節約も考えて毎朝のスタバ通いを止め、
教室で勉強しながらコンビニで買ったサンドウィッチなどを食べるようになりました。
【 食べても太らないサプリ 】
摂取カロリーは一日の必要量よりかなり低いはずなのに、何故か痩せない…。
ある時、
食前に飲めば全部便になるサプリメントの事を知り、飲み始めました。
1箱4,800円くらいで冷静に考えると高額です。
ですが、
効果があるような気がして、
それ無しでは普通の量の食事を摂る事が出来なくなりました。
普通の食事をすると太る、と思い始め、
サプリのない日は友達とランチをしても、
その後吐かないと太っちゃう、
と思うようになりました。
その頃はまだ、「吐く」という行為が辛いものでした。
そして、友達とランチする事が苦痛になりました。
やがて、何かしら理由を作ってランチを断るようになりました。
友達は好きだし、ランチも行きたいけれど、
食べて太るのが怖い…。
【 学年1位 】
そんなこんなで専門学校生活を送り、
最後の試験では学年1位を取りました。
就職のためにも頑張る、頑張った結果です。
カナダ留学のために頑張った、
中学時代のあの感覚が一瞬蘇りました。
【 病院実習 】
2年生の夏休みを利用し、約1ヶ月間、
希望した医療機関で実習をさせてもらえる制度がありました。
私は某大学病院の小児科の外来受付へ行くことが決まりました。
丸1日社会人同様に働くということが初めてで、
とにかく大変でした。
水も自由に飲めず、トイレもあまり行けず、
とにかく忙しい。
一日中スーツにヒールで広い大学生病院内駆け回るのです。
それだけで疲れてしまいます。
座って授業受けてるだけだった日々が懐かしくなりました。
小児科の外来は、
・子供が熱を出した
・赤ちゃんがとにかく苦しそう
・子供が怪我をした
などが殆どで、
「大人は自分のことなら痛みも分かるから、それなりに待てるけど、子供の事となるとそうはいかないんだよね…」
指導員がそう呟き、
小児科がいかに大変な所か、
精神的に、患者も親御様も職員も、
皆地獄のように大変な思いをしてるのか、と感じました。
そんな私の支えは、
お昼休みに食べる病院の食堂のランチと、
帰りに歩きながら舐める「森永キャラメル」でした。
こちらの食堂は、
オムライスやビーフシチューが売りの某有名レストランの会社が運営していて、
それはそれは美味しいのです。
午前中は何を食べようか考えてワクワクしました。
もうひとつの癒しの森永キャラメルは、
パッケージに「滋養強壮」と書いてあり、
ビタミン等が入っていて体に良さそう!と思い、
またハマりました。
帰りの1粒目のキャラメル、
それはそれはふわぁーっと体に沁みて、
幸せな気持ちになりました。
脳には糖が必要、というのを実感する日々でした。
病院実習のことを考えた時に、
1番初めに頭に浮かぶのが森永キャラメルだと言うくらい、
助けられました。
【 父との思い出の詰まった自宅の引越し 】
母親の老後を考え、
父の死後、母は健気に都営住宅の抽選に応募し続けていました。
それが遂に当選したのです。
私は病院実習中のため引越し当日は手伝えず、
引越しや掃除は母と弟にお願いました。
それまでは自分の部屋がなかったのですが、
新しい家では一人一部屋の間取り。
とにかくワクワクしたのを覚えています。
【 インターン、そして卒業 】
病院実習から、「私は病院は無理だ」と悟り、
ある企業の健康保険組合を受け、
内定をいただきました。
大手企業の健康保険組合で、
母はとても喜んでくれました。
大学へ行かなくても頑張れば叶うんだ!
というのをこの頃から感じていました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
内定をいただいた健保組合は、
10月から週に何日か午前中アルバイトとして働く事ができる、「インターン制度」があります。
それもあり、この組合への就職を希望しました。
病院実習のおかげで、
デスクワークは難なくこなせました。
私を指導してくれるのは、
私よりひと月前に来て仕事を引き継いでくれていた派遣社員の女性のIさん。
凄く細くて美人な方でした。
そんな方に「凄く細いね」と言われ、
私ってそんなに細いのかな?Iさんの方が細いと思うけど…
と、人に言われても解せない部分がありました。
この頃から、
【自分が痩せている】
という認識が無くなっていたのだと思います。
インターンの日は午後は授業に出なくて良いので、
かなり有意義な日々を過ごしていました。
時間のある日は献血をしたり…
この頃はまだ、
献血が出来る体重でした。
いつからか、
「社食があるから一緒に行かない?」
と誘われ、
お昼まで食べて帰るようになりました。
同じ専門学校から就職したひとつ上の先輩もいて、
本当に皆さんから優しくしてもらっていました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
そんな、半分社会人、半分学生の生活を送り、
無事に専門学校を卒業し、
健康保険組合へ就職しました。
その後、
少しづつ摂食障害の道のりを歩むことになりますが…。
それはまた次のお話。