廣末保「自律的ジャンル史観について」

・廣末保「自律的ジャンル史観について」『芭蕉 俳諧の精神と方法』平凡社ライブラリー、1993年

なんども読んでいるがわかったような、わからないような文章というのがある。しかし、かといってそこで述べられていることが無駄なこと、とも思えない。むしろなにか大切なことをとりこぼさずに論じようとするがゆえに、そうなっていると感じられる文章というのがある。
いわゆる批評と称されるジャンルはそういう感触が重要だと私は思っている。

廣末保は、法政大学で文学を専門とした研究者である。「悪場所」論が都市論の文脈でさかんに評価されていたようである。最近はあまり言及されていないような気もするが、友常勉『戦後部落解放運動史』で『漂泊の物語』が取り上げられていたのが印象的。ここでは、廣末が『人民文学』の編集長を務めていたことにも触れるが、それが彼の思想なり研究なりとどう関わるのかは課題とされている。

廣末は、戦後の日本共産党の影響下で文学研究を推進した人物であり、前近代の文学についての捉え方は、文芸批評家の花田清輝の影響(なのか同時代性なのか)がみられる。

廣末の文章は前述の意味で批評的である。実証性・専門性を強く打ち出すというよりかは、なぜ研究するのか、そのことによってなにを見いだすことが出きるのか、を絶えず問い直しながら、検討が進む。本書『芭蕉』でいえば、芭蕉といういまさら説明するまでもないような文学史上の大人物について、既存の理解の枠組みをずらし、壊しながら、芭蕉、俳諧の精神史を見つめ直そうとしている。

今回取り上げる文章は、1987年の『日本文学講座』第1巻が初出である。あらためて読んだ後に、初出を確認して、これが講座本に収められていたことに驚いた。意地悪くいえば、思い付きで書かれ、全く中身がないようにも読めるからである。
廣末は、「形式」という問題から説明をはじめ、文学(史)上のジャンルという理解の限界、不十分さを指摘していく。たとえば、西鶴は「浮世草子」の草分けとされるが、文学研究において、浮世草子の具体的な説明は実は全くなされておらず、西鶴以前以後を分かつものとしか述べられてきていない、など。講座本であれば、西鶴は何年に生まれて、こんな作品を残しました、という説明があるのが普通かと思うが、廣末は、文学史の方法そのものへの疑義を差し挟んでいくのである。
どうも、文学研究が専門性が高くなり、細分化しすぎていることについての批判のようだ。
廣末は、知識や思考の結果ではなく、まだ決定していない問題を考えるプロセスを文章として示す。文学史をいわゆる文学に収めてしまうのではなく、精神史のなかで考える。西鶴は民俗的饗宴の文学的な再現だとか、芭蕉が西鶴を俳諧の文脈で読んだということから、その流れで理解するのも必要だろう、というふうに。このあたりは、戦後のマルクス主義の文学研究である歴史社会学派の影響とも考えられるかも知れない。ただ、感触としては、花田清輝などの文芸批評的な問題意識のほうが濃厚に漂っている気がする。
そして最後に、芸能という問題に触れる。この流れでわかるように、芸能というジャンルはジャンルではなく、「超上位的」だとする。芸能史という枠組みを取り払おうとするような挑発的な指摘である。
廣末は、漂泊芸能民や悪場所、絵金など、社会的な周縁、身分的に低かった人びとの精神史を明らかにしようとする欲望がとても強い。芭蕉論もあきらかにその一部である。そして、芸能はそこに接近するための貴重な入り口なのだ。

廣末がこのような視座をいかに獲得したのかを考えることは、戦後日本の芸能史研究の隠された水脈を探ることに他ならないと私は考えている。
ちなみに、本書の解説はバフチンの翻訳者である桑野隆である。前述した、西鶴は民俗的饗宴の文学的な再現など、確かにバフチン的な要素もある。これも気になる点である。


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