流浪社

読書メモ&文章のタネになります。内容はその都度、加筆や修正されていく流動的なものになる予定です。

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最近の記事

読書メモ(山本美紀『音楽祭の戦後史』白水社、2015年)

音楽祭を「サロン型」と「結社型」に分類し、前者を朝日新聞社主も務めた村山未知による大阪国際フェスティバル、後者を現代音楽祭(二十世紀音楽研究所)とし、1990年代で途絶えた地域での音楽祭の歴史を追う。 おもしろいのは、「第五章 祝祭の黄昏 サロンと大衆の分極」。大阪万博におけるクラシック部門の開催にあたり、村山未知と万博協会のいざこざを描いている。現在進行形の万博を批判するため、ともすれば成功例とされかねない、大阪万博がいかに行き当たりばったりであったかがわかる。村山がエー

    • 読者メモ(朴祥美『帝国と戦後の文化政策』岩波書店、2017年)

      日本における文化政策の戦前から戦後への連続性(方法、人脈)を視野にいれた歴史叙述で、朝鮮、韓国の位置を組み込むのが特徴。 戦後の文化政策を知りたかったので、第四章・第五章だけを読む。 政治、経済、行政、左翼運動などの目配りはなされており、それぞれが絡まりあうことで展開したという軸はしっかりしている。特に戦争を断絶と見なさない視点。 戦後の文化政策には、アメリカニズムの受容とともに、日本のナショナリズムを鼓舞する側面が最初からあった。ここに郷土芸能が入ってくる。 特に宝塚の北米

      • 廣末保「自律的ジャンル史観について」

        ・廣末保「自律的ジャンル史観について」『芭蕉 俳諧の精神と方法』平凡社ライブラリー、1993年 なんども読んでいるがわかったような、わからないような文章というのがある。しかし、かといってそこで述べられていることが無駄なこと、とも思えない。むしろなにか大切なことをとりこぼさずに論じようとするがゆえに、そうなっていると感じられる文章というのがある。 いわゆる批評と称されるジャンルはそういう感触が重要だと私は思っている。 廣末保は、法政大学で文学を専門とした研究者である。「悪場

        • カルロ・ギンズブルグ「他者の声」

          ・カルロ・ギンズブルグ「他者の声ー近世初期イエズス会士たちの歴史叙述における対話的要素」上村忠男訳『歴史・レトリック・立証』みすず書房、2001年 前からギンズブルグは気になりつつ手を出せなかった。早くは山口昌男が、『知の旅への誘い』のなかで『チーズとうじ虫』を絶賛していた。 また、市村弘正が、ギンズブルグが、痕跡をたどる歴史家の作法を狩猟の作法の延長ととらえる視点に触れていたのも印象深かった。 『歴史・レトリック・立証』は、本屋に置いてあり、前から気になっていた本だっ

          『今日のアニミズム』

          ・奥野克巳、清水高志『今日のアニミズム』以文社、2021年 http://www.ibunsha.co.jp/new-titles/978-4753103669/ お互いが論考をよせ、それについて対談するという形式で、2回分が収められている。 奥野は、マルチ・スピーシーズ人類学の日本における中心的な研究者。清水は、ミシェル・セールの研究者(読むまで、よくは知らなかった)。 読みはじめて、清水のアニミズムをキーワードに、哲学、仏教(禅)、人類学を統合しようとする独創的な思索

          『今日のアニミズム』