私は泣いたことがない
今でこそ涙腺が崩壊状態なのか、やたらと涙もろい私ですが小学校の六年間だけは泣いたことがないと断言出来ます。
理由は、母親が恐かったから、その一点だけです。
父亡き後、すっかり気弱になった母は「早くお迎えが来て欲しい」等と嘆くようになりましたが、母の名誉の為⁉に申しますと、若い頃の母はそんな殊勝なキャラではありませんでした。父と結婚したばかりの頃、義母(私を育ててくれた祖母)の前で父と取っ組み合いの喧嘩をして、父に強烈なパンチをくらわせ「息子を殴るなんて」と義母を泣かせた人です。とにかく男勝りで負けん気が強く、姉御肌を通り越して『ボス』のような感じの、それはそれは強い女性でした。
私は祖母に怒られた記憶はほとんどないのですが、週末くらいしか会わない母親に
「泣くな!泣いて済むと思うな!」と物凄い剣幕で怒られて、すごく恐かったことを鮮明に覚えています。そして、次に何かで怒られて泣いた時に
「また泣くのか‼ビービー泣くんじゃない‼今度泣いたら承知しないから‼」
と猛烈に怒られて、あの鬼のような恐ろしい顔に震え上がった私は、それ以降何があっても、グッと泣くのを我慢する子になりました。
小学校では泣かない女子は可愛くないという理由で、一部の男子からいつもケンカを売られていましたが、泣いたりしたことが母にバレたら大変です。母の恐ろしい顔がチラつき、男子とやりあっている内にケンカ(ドッチボールも)が強くなっていきました。
猫のみいは、一番の被害者だったかもしれません。私がむしゃくしゃしている時に、うっかり近寄ってこようものならとばっちりを受けて大変でした。みいを前に座らせて顔を両手で挟み、睨みながら
「鳴いちゃダメ、みい、わかった⁉ダメだからね!」
「ニャー」
「鳴いちゃダメって言ったでしょ😠わかった⁉みい、鳴いちゃダメなの!」
「・・・ニャ」
「めんどくさ~、もう勘弁して」という顔が可笑しくて、よくみいにお説教?をしていました。
不思議なことに、私の息子と娘はこんな過激なおばあちゃんを面白がり何故かなついていて『怖いもの知らず』にも程があると思いました。
息子が幼稚園に入園する前のことです。母が、喧嘩の心得?を教えていた時にはビックリしました。
ケンカになっても絶対に泣いてはいけない
ケンカして顔色が青くなった方が負けだ、常に笑顔でケンカすること
やられたらやり返すのでは遅い、先手を打つ、機先を制することが大事
などと、3歳児が理解出来る訳がない事を、真剣に諭していました。
「ケンカしたらダメだよ、お友達には優しくね、仲良くね」と言い聞かせていた私とは真逆のことを教えていて、本当に焦りました💦
案の定、機先を制するの意味がわかっていない息子は喧嘩っ早い子だと幼稚園の先生からご注意を受けてしまいました。入園前の調査書の性格の欄に「思いやりのある優しい子」と書いていて、本当に恥ずかしかったです(>_<)
『やられたらやり返すのでは遅い!やられる前に、やれ!』
息子が今もそう思っていたら、完全にヤバいヤツですが、自分を含め母の激しい気性を受け継いだ者がいなかったことに心からホッとしています。
父が亡くなってからの母は、気持ちの持って行き場を失くしたようで可哀そうでした。母は強そうに見えても内心では父を頼っていたのだと思います。父は本当に優しくて愛情深い人でした。母の全てを受け止められるような器の大きな人だったのです。
母が亡くなって9年以上経ちますが、ハチャメチャで強烈だった分寂しくていまだに思い出すと泣けてきます。
泣けなかった子ども時代の分まで泣いているのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>
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