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「ミュージカルドラマ Play a Life」日本にミュージカルを定着させるためには?

日本にはミュージカルが定着しないということを言う人は多くいる。今では、劇団四季などがそれなりにお客さんを集めているわけだが、ブロードウェイのように、一度に多くのミュージカルが演じられるような世界にはなっていない。だから、ミュージカル映画など、作っては非難される歴史をきづいてきたと言ってもいい。私も古くは、日活での井上梅次監督の不思議な音楽劇や、須川栄三監督「君の出世ができる」なども見てきたが、もう、日本人のリズム感のなさというか、体格がそれに合わないみたいなものを感じずにはいられなかった。

そして、今でもミュージカル映画を日本で成立させるなど、なかなか難しいと考えるわけだ。そんな中で、フジテレビの深夜にミュージカルドラマをやると言うので観た。上口耕平、平野綾、小向なるの三人で演じられるこじんまりとした音楽劇。8割方セリフも歌になっているのには「頑張ってるな」と言う感じはした。だが、やはり日本語がうまく心に染みてこないのだ。これは役者が下手なのではなく、やはり見せ方が下手なのだと思う。

話はシンプル。亡くなった妻を忘れられない男教師が、妻の教え子であった教育実習生に出会い、見えない妻との共生みたいなものを吐露していく話。簡単にいえば、これは幽霊ものである。そう言うものをミュージカルで見せるのはまず難しい気がした。

そして、役者も演出もミュージカルに縁がある人が作っているのはよくわかる。だが、この演出は舞台の演出だと思った。そう、映像でミュージカルを作るなら、それなりに映像の動きや構図をうまく使っていかないと意味がない。そして、カメラ自体がもっとアクティブに動いていくことが大事だと私は思う。その辺りスタッフに、PVなどを得意にしてる人を入れ込んでいったらまた違うものが作れるのではないか?そう、映像として面白くないのがこのドラマなわけだ。

特に、ラスト、妻が死んでいることがバレて、三人で歌いながら問答してるところは、実につまらない。セリフでそれなりのことを言おうとしているのはわかるが、歌が邪魔になったりする。日本語という言語は本当にミュージカルには合わないと実感してしまった。言葉選びをすれば変わってくるとは思うのだファ・・・。

そして、話のきっかけで、映画「いまを生きる」やロビン・ウィリアムスのことが語られるが、これがドラマ全体の中ではあまり生かされていない。そして、この映画、多くの人がわかる映画ではないと思う。そう、このへんもインパクトに欠ける。まあ、ミュージカル以前のドラマ構成の話になってしうが・・・。

とにかくも、あまり新しいものは感じなかった時間ではあった。とにかくも
もっと、こう言う従来の形を覆そうというスタッフが集まって、面白い日本版のオリジナルミュージカル映画やドラマが見たいと思う次第である。今は、音楽業界の景気も悪い時代、音楽界からのアプローチでそう言うものを作っていくのも良いと思うのだが、どうだろうか?

平野綾さんはなかなか素敵でしたけどね・・・。

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