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「ペンディングトレイン~8時23分、明日 君と(第7話)」過去に戻る希望を持ち続けることが大事ということか?
最後、ワームホールが見つかるところで終わり。で、ワームホールがこんな感じで見える状態で残っているかは疑問だが、ドラマの進行上、この辺でそこに持っていかなくてはいけないということだろう。実際なら、それほどの吸引力がある穴があるなら、もうとっくにこの車両は元の場所に戻っているのではないかと考えたりもできるのだが・・・。
そして、トンネル内にそれが存在するなら、過去側にも同じような穴が空いているはず。その辺りの現代の風景が出てこないのも、もう一ついい加減な感じなわけだ。先週から登場した間宮祥太朗も、ドラマ内で確信をついた発言はまだしていない。可能性を説いているだけだ。彼がこれからどう使われるかはこのドラマにとっては大きい気がするのだが・・。
とにかくも、今回が7回目。6号車と5号車の抗争劇をまずは山田が身を挺して解決する話から。しかし、ここでチンチロリンでそれを収めるとは、なんかもう一つ辛い展開。人間は、思考が止まってもギャンブルだけはやめないのだろうか?この賭けるものもさしてない社会の中で・・。そして、ギャンブルが資本主義を作り出すということなのかも知らない。ある意味、金持ちだ貧乏だという概念は偶然の成り立ちの中にある。その辺りをこういうサバイバル劇で示していくのならこういう展開もありだが、これは何かせちがない。
そして、川に魚が結構いる話ももう一つわからないのだ。川にそれがいるなら、それを食料にする動物もいるはずだと思う。熊や鹿、猪など。そういうものが一切出てこないのも不自然。つまり、このドラマは、サバイバル劇であってサバイバル劇ではないのだ。あと、太古から存在する鳥もいないというのは不自然。タンパク源が魚だけという設定は、ドラマの予算の問題からだろうか?
ワームホールの話から、皆が過去に帰りたいという中で、古川琴音だけが、「そんな破滅する世界に戻りたいの?」というみんなとは逆説的な意見を言う。こういう意見がSFドラマの中ではすごく重要な気がするが、その議論があまりなされるままに話は先に進む。そう、サバイバル劇では、その場その場の判断というものがドラマに結びついていくはず。そういう部分もあまりちゃんと描かれていないのは残念なところ。
そんな中で、赤楚と山田、上白石の三角関係があったり、片岡凛の妊娠の話があったりする。この辺り人間社会が続くというフラグの中では重要なドラマなのだと思うのだが、どうも、そこもうまく描けていない。まあ、最後に上白石が山田に抱きつくのはそういう先を示しているのだろうが・・・。
そして、ワームホールが見つかるのが、狂気気味の杉本哲太の暴走からというのも、なんかつまらないというか、杉本にそんな重要なことやらせなくてもいいだろうと思ったりする。この、勝手なおじさんキャラ必要か?と今になっても思うのである。
なんとか、ドラマは見ていられるが、やはり人が多すぎて描きたいことがしっかり描けていないままにクライマックスに入っていく感じですね。まあ、あと興味はどうやって戻るか?というところだけかな・・・。