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「アトムの童(第4話)」優しさは夢を貫かせ、悪意は夢見ることを阻害する

結局、先週の最後のプログラム消失事件は、メインプログラムは無事で、その上に書き込んだキャラクターや背景などが消されたというオチであったが、それにしても、バックアップという言葉が一つも出てこないのは、ちょっと解せないですよね。そして、銀行の皆川猿時も、「再度プログラムを消せ」と司令する。プログラマーが二度同じヘマをするようなことは絶対にない。(ここでは隙を見せてるけどね)そういう部分をいい加減にするのはいかがなものかと思う。そして、仕事を外注にだして、ワーカーの女子のゴツい彼氏が出てきて逃げ出すみたいな描写もいらないだろう。このドラマ、あちこちバグのようなシーンが結構ある。

だが、本質が、夢を追う優しき軍団と、あくまでも利権を握ろうとして、邪魔するものは貶めるだけという悪意の軍団の抗争劇であるわけで、そういうバグがあっても十分に楽しめる設定にはなっている。まあ、常に次回が楽しみな流れだ。

そんな中で、怪我の功名で、背景をアトム玩具の作ったジオラマを撮影して取り込むというのは面白い発想。とはいえ、時間をかければ、この程度のC GはPCでも作れるわけで、そう考えると考え方は決して新しくはない。ただ、ここでは、アトム玩具らしさがそこに出てくることが重要なのだろう。そういう意味で、ゲームの進化が毎回見られるような動きがしっかり描かれていることはドラマとしては評価できるところ。

そんな中で、出資してくれそうなインド人がアトム玩具の本来のソフビなどのアイテムが好きだという情報からそこに短い時間で専心する社員たちの動きもドラマに勢いをつけて、それを成功に導く様は、見ていて心地よい。こういう部分は日曜劇場のスタッフはうまいですよね。

でも、そんな喜びの中に、オダギリとも繋がっている玄里が笑顔で混じっていることがすごい違和感の画になっているのが気になった。だいたい彼女、このインド人の話には全く絡んでいない。そして、ラストには、オダギリに経産省の人間である西田尚美を紹介して、インディーズゲームを配信できなくしようと仕向けているのだ。まあ、こういうブローカー的な人間がパブリッシャーを名乗るのがおかしいのだが、フリーの女性でものつくりに関わる人は、こんな感じかもしれないなと思うところはある。

そう、本質的には、ものつくりの喜びは関わる本人たちにしか理解できないのだ。なぜに林泰文がデータを消すような悪行ができたかといえば、作る苦しみを知らないからだ。今の銀行の人々は相手の職業の本質など考えない人が多いと私は思う。だから、謝って許してもらえても、作り手の喜びみたいなもの、何故に許してもらえるのかもわからない。まあ、悪の集団の部下たちはこんなものだ。

そして、悪の元締めのオダギリ・ジョーはますます悪の仮面をさらけだしていく。こんな、大企業が国と組んで、ゲームの配信制限をするなど、独占禁止法違反になりかねない。仲良くしてくれればゲームは出してやるよという流れであろう。坂口健太郎と杏を呼んできて、調べて欲しいところだ。まあ、そんなことを考えさせるぐらい、オダギリの悪役ははまっている。彼の心の中にはゲームの面白さなど全くどうでもいいところであるのが明確にわかる演技が視聴者のカンに触るわけだ。

まあ、まだまだ次週でドラマも折り返しくらいだろうからここから紆余曲折が待っていそうだが、見ているものが気持ちよくなる展開を望む!



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