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「ペンディングトレイン~8時23分、明日 君と(第10話)」あくまでも未来に向けてのメッセージということなのでしょうか?
最後の間宮祥太朗の芝居を見ると、地球は滅亡しないで済んだのだろう。しかし、この事態の中でこんな静かに、ポエムチックに終わらせるドラマとは思わなかった。多分、脚本家は未来が続くということの大切さみたいなことを、多くの考えの異なる人々が共存するということの大事さを描きたかったのだとは思うが、今ひとつ弱いというか、中途半端なドラマだったということは確かだった。
ラストシーン、電車に乗ってどこに向かおうとしてるのかよくわからない人々、そして、偶然出会って不思議な影響をしあった主人公二人の未来はまだまだ続くという感じの画は綺麗すぎる。そんなものを視聴者は求めていたか?最後に、片岡凛が子供を産み、古川琴音が結婚する。そんな、人生の岐路をここに重ねながら、人生は素晴らしいとでもいうのか?色々と見終わった後のもどかしさが気持ち悪い。
大体、隕石が発見され、政府が秘密裏に動くというのがドラマとしてつまらなすぎる。そして、ネットで流れる危機感みたいなものが語られるが、実際いつも宇宙を見ている天体マニアなら、隕石などすぐに見つけてしまうだろう。だから、こんなこと隠し続けられるわけがないのだ。そして、日本だけが動いて、他の国が全く動かないというのもおかしい。日本が勝手にロケット打ち上げるなど、そんなリスキーなことしてどうする?なんか、しょぼいSFなのである。そして、隕石のCGなども出てこないから、もう最後は、これはSFではないと言ってるようなものですよね。
そしてマスコミが騒がずにYouTuberみたいな人ばかりが騒いでるのも不自然だし、こんなに街が平然とした中で隕石がぶつかろうとしていたなんて、危機感なさすぎだろう。あと、YouTuber演じてるエキストラの人たちの顔が阿呆に見えすぎるが、これはテレビ局のライバルに対する勝手なイメージですよね。私もマスコミの人と一緒に撮影することあるが、マスコミの人たちの意識はワイドショーそのもので、不愉快になる時が多々あります。まあ、YouTuberが自分達の映し画だと考えて作ってるならそれは違いますよ!
そして、こういう場面では確かに最後は「祈る」しかないのだろうが、その部分もあまりちゃん描かれていない。教会で祈る人など、よくこういうパニック場面には出てきますよね・・。「祈る」ことで事が変わるという考え方は、こういう話の中では重要なのです。「宇宙」とはそういうものだと感じませんか?
まあね、そういう紋切型を全て排除したかったということなのかもしれませんな。そして、現在の日本の人の関係のあり方みたいなものにフォーカスをかけたかったということでしょう。そのために、タイムスリップを使い、人類滅亡の話を作った。だが、その作られた災害の話がしょぼすぎたので、ドラマの構造が悪すぎて、ドラマとしての重厚感が無さすぎたと言えるわけですよね。
なんか、杉本哲太のところに、ワームホールから手紙が届いたみたいだが、こちらの世界は隕石回避していて、もはや滅亡した地球は違う世界になるのだろうから、届くのか?とか思ってしまった。「ドラえもん」みたいなうまい嘘がつけないのは、もはや失笑ものですが、そういうことを言う人がネットでもあまりいないのは、日本人は優しいなと思ったりしまう。はっきり言って、脚本家の金子ありささん、ベテランのあなたがこんなもの書いてはダメですよ。1973年生まれなら、手塚治虫も石ノ森章太郎も読んでいらっしゃるでしょうからね・・・。
まあ、一つ良かったことを言えば、上白石萌歌の芝居が少し大人になっていて、色気も出てきて、今後に期待できると言うことでしょうか?しかし、彼女にファーストシーンで赤ん坊を抱えさす意味ってあったのでしょうか?彼女の子供でもないのに・・。ネットでは、見事な伏線回収みたいなこと書いてる方もいるみたいですが、結果的にわからないことが多すぎて、モヤモヤがいっぱい残るドラマでしたよね。
TBSのドラマ班、本当にもう少ししっかりしたもの作れません?脚本をもっと練って質を上げてかないと、ビジネスとして危うくなっていますよ!