「海に眠るダイヤモンド(第3話)」端島は最隆盛期。泥棒も出れば夢もある。そこをどう現代と繋げるのだ?
ラスト、桜のシーンがダブって語られるということは、宮本信子は杉咲花なのだろう。背格好から言っても、それはしっくりくる。だが、今この時に杉咲は清水尋也に気が合ったのではないのか?まあ、そんなこと忘れさせるラストではあったし、悲しい時に慰めてくれる男にはやはり思いは強くなる?
しかし、恋がこの島の隆盛と共に紡がれていく様はキラキラしている。子供がいっぱいできる話も出てきたが、少子化対策など、ムードが第一なのだ。それを政治家が作れないのが今の日本。気分が高揚すれば男女も高揚する、そして生まれた子供たちも美しい未来を夢見るという流れ・・。いや、私たちは美しい未来を夢見ていたが、こんな世界にいる。そんな矛盾を描こうとしているような気もする。
だから、現代で宮本信子は、自分で作って息子たちに与えてきたものを壊そうとしているのかもしれない。そして、孫娘がホストに狂い、そこで神木隆之介と位置が狭まるのは、世の中の歪みを示している。
医学生の孫娘を演じるは片岡凛。やはり、少し斜に構えた役が実によく似合う。そして、この娘は顔のラインがシュッとしてるのが美しすぎる。多分、あと2、3年でドラマでも映画でもヒロインに駆け上がりそうな娘である。
そんなこと考えてたら、島での映画オーディション。監督として来島した渋川清彦は、こういう詐欺師役が実に合っているのと同時に、片桐はいりに信用されている感じがバランスよく見えた。一緒に仲間が島に入っているというのはわからなかったが、ある意味、金が舞っていた島ではこういうことも多くあったのだろう。
そして、映画の観客も減ったと言わしめる、テレビの普及。この時期に、つまり、まだオリンピックも来ぬ前に普及率60%はすごい。ある意味、テレビというのは、こういう大企業が抱える工員の街から普及していったのかもしれない。今の人はわからないだろうが、この頃のテレビはまさに夢の箱だったのだ。
そう、このドラマを見ているうちに、昭和の過去と今を比較しながら頭が内容を咀嚼していることがわかる。ラスト、キラキラに光る端島を見る神木と杉咲。そこには、本当に明るい未来が見えていたはず。そして、そんな未来を間違ったと少し悔いを感じる宮本信子。その間の約半世紀の中で何があり、心がどう揺れていったのかがここから描かれるのだろうが、未だフォーカスははっきりしない。でも、毎回、見ている自分が端島に存在しているように感じられる演出はさすがである。
さあ、現代でも会社の中に神木が入っていった。何が起こるのでしょうか?