「ザ・ユナイテッド・ステイツVS.ビリーホリディ」この題名に見える感じの緊張感がもっと欲しい気がした。
平日の午後の劇場は、ほぼシニアが10人程度。ビリー・ホリディという歌手の名前で若者は呼ばれてこないということだろう。今から半世紀前の1972年に同じ題材でダイアナ・ロス主演で「ビリーホリディ物語/奇妙な果実」という映画があった。私は観ていないが、テレビで結構宣伝していたから覚えているし、ビリー・ホリディもダイアナ・ロスもその時に覚えた。そのころは、まだビリー・ホリディが亡くなって13年だから、そのセンセーショナルな人生は多くの人に受け入れられたとは思う。だが、時は過ぎ、彼女が亡くなってから63年だ。もちろん、未だ燻る黒人差別問題が表面化していることで、この題材ということはあったのだろう。両方見ている人の評を見ると、題名通りに今回は警察の企みをちゃんと描いたものになっていたようだ。確かにビリー・ホリディだけを描いていくと、麻薬で騙しながらの歌手人生しか見えてこない気はする。でも、原作となる「麻薬と人間 100年の物語─薬物への認識を変える衝撃の真実」はちょっと気になるので、読んでみようと思う。
そう、ある意味、薬に飲まれていく姿は、ジュディ・ガーランドに似たとこともあるのだが、そこに黒人という基本的な要因があるとやはり違うものが見えてくる。ここで、歌うか歌わないかと問われる「Strange Frueits」は黒人のリンチを描く歌であり、あまりにセンセーショナルなのは、映画の中で聴いて、その訳詞を読んでもわかることだ。ある意味、そういう歌をダシにして、黒人の人権を縛ろうとするアメリカの本性みたいなものが浮かび上がる感じ、本質のエグみみたいなものはしっかり出ている映画だ。そして、裏で動かす者がケネディとつながっていたことも描かれていたし、ある意味、アメリカの負の歴史がよくわかる映画には仕上がっている。
もう少し、当時のフィルムを入れてもいい気がするが、そんなに残ってもいないのだろう。同じ立場の黒人をそそのかして彼女をなんとか捕まえてダメにしようとする。まあ、あくまでも負の歴史を描く映画であり、ビリー・ホリディ自体が奇妙な果実であったという結論なのだろうと思うが、そこのところはどう描いても、なかなかエンタメとして好意的に浮かばれない感じがする。それは、一昨年、公開された「JUDY」と比べても明確である。
同じ黒人として、昨年はアレサ・フランクリンの自伝的映画「リスペクト」があった。彼女も娼婦としての裏面を持っていたが、ゴスペルにまだ洗われるような感じがあって、オバマ大統領の時代まで生きられたことは、ビリー・ホリディとは色々違うことが多い。ビリー・ホリディには、陽気な部分が皆無な感じになることが辛いのだ。でも、ここに表された黒人歌手として話の方がリアルなのだろうと思う。国が差別的なことを正当化して潰そうとすることがいかに醜いことかも見えてくる。まあ、2022年という年になり、いまだに、こういう映画を作り見させようとすること自体が問題なのだが…。
監督は、私とほぼ同じ歳のリー・ダニエルズ。ビリー・ホリディが死んだ年に彼は生まれている。そういう意味では、彼の知らない世界を残したいという思いはあるのだろう。まあ、ホリディとサッチモの共演シーンを描くなんて、なかなかできることではないし、いろんな思惑がこの映画には潜んでいるのだと思う。
そして、主演のアンドラ・デイは、体当たりで見事にビリー・ホリディを演じていた。ある意味、その果実のエグみを今に再現したことがこの映画の大きな意味合いなのだと思う。そして、時代はこの悲劇を繰り返すことしか見えてこないことが、辛いが、リアルな現実に我々が真向かうことが重要だ。似たようなことは、日本のあちこちに未だ存在するのだから。