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「オールドルーキー(第4話)」心のけじめをつけることを形にすることは大切なこと

今回は、他者へのマネージメントの話ではなく、綾野剛の自分自身のマネージメントの話。ここまでで、ドラマの初動部は終わりで、ここから第二の人生が確実に始まるというところ。しかし、ここで綾野が演じる主人公はついている。他に何も取り柄がないスポーツ選手が、サッカー選手のマネージメントを取るために雇われ、まだ正社員でないにしろ、食い扶持を稼ぐ仕事にありつく。そして、今回はその妻の榮倉奈々が元人気女子アナだったことで、更なるけじめがつくことになるわけだ。そう、人の縁というものは、そんな感じでつながっていく。

しかし、ここでの榮倉の役はなかなかもらい役の気がする。そんなに一生懸命な感じでもなく、自分の人気に甘えるでもなく、しっかり夫や子供を見ているし、それなりに覚悟を感じる。ビクトリーの社員たちの彼女へのよいしょの仕方は少しやりすぎにも見えるが、彼女のドラマの中の印象で納得させてしまうところがある。ドラマのこれからの中でも彼女の演技は楽しみだ。

とはいえ、自分が燃え尽きていないことを悟る、野球選手とのやりとりは少し違和感があった。確かにクビが見えている野球選手とは、こんなものなのかもしれない。トライアウトに出たところで行く末は決まっていると、自分が燃え尽きたことを語るのだが、それではドラマにならないと思ったのは私だけではないだろう。あくまでも、今回の野球の話は綾野の引退を決めるきっかけのための話なのだが、いまいち納得はいかなかった。

そして、榮倉が仕込んだ、綾野の引退試合。娘たちに最後の勇姿を見せたいという思いもあったはず。いや、しかし、サッカー選手で引退試合などやってもらえるのは一握りだし、野球選手のそれよりも少ないだろう。選手寿命も長くないし、それでもサッカーをやりたいと思ったままに、去っていく人が多いのだと思う。そういう現実をも視聴者に感じさせる引退試合のシーンだった。あくまでも、スポーツ選手はさわやかにグラウンドを去るべきという理想論があるわけだが、まだまだ日本はスポーツで稼ぐには厳しい国だということだ。

しかし、綾野剛の演技は、もう一つ、自分のキャリアみたいなものが積み上がった演技になっていない気がした。サッカーの上手い下手ではなく、表情に長い選手時代のおもいでが蘇ってきて、感極まるという演技にはなっていなかった。まあ、それはアスリート自身しかわからないし、表現できないものかもしれない。昔から、アスリートの自伝的なドラマや映画は多いが、そういう部分でなかなか傑作にはなりづらいですよね。リアルなスポーツとは違うスタンスでドラマとしてやっても、本物と同じものは作れないということです。

そして、引退を決めた綾野のところに、現役のサッカー選手から電話がかかってくる。第二部に入るにはなかなか上手い導入でした。


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