「アイのない恋人たち(第2話)」愛がどこに存在するかもわからない鈍い男たちに立ち向かう孤独な女たち・・。
今時のアラサーの青春劇という点では、こういう感じなのかもしれない。数年前までは、いや、10年前くらいまではか?主人公の女性が「性体験がない」みたいな話はかなり異質なこととして語られていたが、最近の調査でも男女ともにそこに至る平均年齢が上がっているようなことも書いてあった。それがないことでそれほど恥ずかしい時代でもないことが、岡崎紗絵の言葉の軽さみたいな中にも現れてる気がする。
そんな中で、もう一人の主役である福士蒼汰がマッチングアプリで知り合って性欲をはらし、同じ女に3回会ったら別れるみたいな定型的な話も、ある意味、あり得る話でもあろう。現代は「愛」の所在するところが見えにくい気がする。夫婦という形態をとっても、そこに「愛」のないことに気づき、リセットをかける人も多い時代だ。そんな「愛」が本当はどこにあるのか探し続けるドラマのようにも見えてきた。
そんな話の中に、どちらかといえば、昔からよくいるタイプの、水商売をしていて、子供がいたりする女が佐々木希であるわけで、これもまた、一方での定型的な生き方なのかもしれない。彼女が、この話の中での毒物的な位置なのだが、これから何を起こしてくれるのは楽しみ。で、佐々木、少し太りましたかね。少し、二重顎になりつつある感じが気になった。年齢を感じさせるのだ。まあ、リアルで子供ができ、どうしようもない夫に振り回されてる人ですからね・・。
しかし、福士と岡崎、成海璃子と本郷奏多、深川麻衣と前田公輝という3組がなんとなく2回目で近づいていくみたいな脚本は、前回も書いたが、遊川和彦としては、わかりやすい流れだ。そして、それぞれが違う恋愛の形になっている感じは、さすがにうまいなと思ったりした。
とはいえ、昔のドラマと違うのは、恋を動かしているのは女たちの発言からなのですよね。だいたい、岡崎に何か言ってもらわなければ脚本が書けないような福士みたいな男は、昔は主役にできなかったよね。本郷奏多も、彼のダメさ加減を成海に指摘されて初めて恋に能動的に走り出している。深川の場合も、前田が区役所に訪ねてくる感じは昔の下手な恋物語にあった世界だが、その前提を作ったのは深川なわけだし、男たちは恋の発端さえ作れないのが今の時代ということか?
遊川和彦自体は、多分、そういう現代の違和感を通して何か違うものを語ろうとしているようにも感じるのだが、どうだろう。家族内にいろんな問題を抱えているのは岡崎であり、彼女のアイデンティティの震えみたいなものが一番感じる気がするのだが、それを福祉が解決してくれるのか?といえばそれはない感じにも見える。とにかく、男3人が心的に大人になりきっていないところで、恋がどう動くのかは全く不鮮明な部分が面白いのかもしれない。
どちらにしても、恋愛劇も最近は、単純に奇跡的なボーイ・ミーツ・ガールから始めないわけで、マッチングアプリみたいな世界がもう一つピンとこない私には、物足りないというか、「違う」という声が常に脳裏に響く感じ。
そう、恋ってさ、そんな単純じゃないし、突然にやってくるものだよね。その奇跡な感情を映像化してほしい気はするのだが、このドラマはそういうものではないことは、この2回目で明確にはなった。