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「恋はDeepに(第6話)」綾野剛がファンタジーを受け入れてしまうことで不思議な空気になっていく展開

最後に、YouTuberが、石原さとみを追いかけて「あなたは海女さん?」と訊ねる。これが普通の人の感覚である。ドラマとしては、そうでないとおかしいのだ。でも、このドラマでは、石原は魚だ。人魚ではなく魚だ。だから、彼女は塩水がないと生きられない。そして、海藻をドレッシングもかけずに食べる。それを、視聴者にそういうものだと、当然のように見せる。視聴者はファンタジーと理解はしているが、やはり違和感がある。石原が綺麗だから、まあいいか?というところである。これが、凡庸な女や、いかつい男だったりしたら興味も起きないというところ。そう考えると、やはりこのドラマは話として、無理がある。いっそ、出演者の半分は魚だったくらいのどんでん返しがあったほうがいい。

綾野剛が、母親の指輪を石原が持っていたことから、夢の中にいるように、その真実?を受け入れ、石原に塩を与えたり、海藻を与えたりして、自分もそれに合わせるという無理な恋物語を演じるのだが、これもかなりおかしい?私たち、日本人のドラマ好きは、こんなエンタメを求めているのか?この企画を「面白い」とゴーをかけた人間がおかしいのだとは思うが、先にも書いたが、夜の10時台のドラマにこの内容を放るというのは、視聴者を馬鹿にしているのではないだろうか?スポンサーは、石原さとみ、綾野剛が主演なら、いいだろうということなのか?私的にはそんな謎ばかりが毎回渦巻き、TV製作の末期症状を見せられているようにしか思えないのである。

そんな、変な恋愛模様が進む中で、兄弟三人の確執みたいなものが普通に語られる。それも、大谷亮平と綾野剛の確執は最初から描いているからいいのだろうが、突然、関係なかった渡邊圭介までが、そこに参戦してくる。株の買い占めを、研究室の変わり者の水澤紳吾と一緒にやっているというのは、伏線も特にない中で始まってるゲームで、ドラマの中の人だけでなく、視聴者も「何?」という感じである。こういうのは、ただの下手な素人脚本にしか見えない。

さらに、この水澤紳吾も、汚い研究室に住み着く人で、石原の経歴を不思議がっていた人という役だったのに、何故が、ドラマの事件の最前線に出てくるのもキャラとして変だ。しかし、仕事場にテントで住み着くキャラとしては、「ドラゴン桜」の阿部寛には遠く及ばない。全てが中途半端なのだ。

ということで、話は、「海中展望タワー」ができるのか?会社の利権は誰が取るのか?変な恋愛はどう解決していくのか?というところにフォーカスが当たっていく。とは言っても、最後は人魚姫にするしかないのだろうね?そういえば、今回、初めて「人魚」というキーワードも出てきましたね。

まあ、どうでもいいが、この脚本が資本を動かして具現化されていることが、本当に不思議である。その不可思議さの答えを見つけるため(多分、そんなものないのだろうが)に見続けて、文章に表現し続けているのだが、日テレのドラマ部は、本当に大丈夫かと思ったりもする。このドラマとコントとしか思えない「ネメシス」が一緒に放映されている現実を考えると、まあ、そんな会社なんだなと思ったりもする。「コントが始まる」は同じ局が作ってるとは思えない勢いがあるけどね…。仕事が少ない中、出演者も出演拒否という選択肢はないのかもしれないが、仕事は選んで欲しいなと思ったりするのが視聴者の本音だ、…。


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