「あたりのキッチン!(第5話)」誰かに助けてもらった人は、誰かを助けることができる
ドラマの折り返しにあって、桜田ひよりのコミュ障もかなり和らいできているようだ。友人にも声をかけられるようになったし、「阿吽」の中でも十分に戦力になっている。そんな桜田のところに、親代わりの叔母の原沙知絵が訪ねてくる。
まだ、子供だと心配する原を疎ましく思う桜田。まあ、「阿吽」での桜田の評判は悪くないが、なかなかそう言うのはわかってもらえない。
で、今回の料理は豚汁。ちょうど、日本全体が冷え込んできた日にこのお題とは、ドラマ的なシンクロはなかなか。なんか、見ているうちに豚汁を食べたくなってきますよね。そして、最初に、渡部篤郎がこの料理を作りながら、奥さんが作っていた味にできないと悩んでるところから。桜田は「美味しい」といい、息子も「いいんじゃない」と言う。そこから、料理というものは、レシピとは別に作った人が大事という話になる。昔から日本には「おふくろの味」みたいな言葉があるが、確かに私も、母親の味のDNAは受け継いでるものの、同じものを再現することはできない。たぶん、そこには見えない「こころ」というスパイスが入っているからだろう。最近の量子力学的な話から考えていけば、多分、料理人の心が料理に何かの仕上げのスパイスをフリかていることは確かな気はする。
そういえば、今週の「フェルマーの料理」であったこともない人に衝撃を与える料理を作ることが大事というような話が出てきたが、まさに料理人の思いのスパイスがその料理にかけられているかどうかということなのだと思う。つまり、世の中のすべての事象にはその人なりのスパイスがかけられている。それを感じさせられるかどうかは、生きていく上でかなり重要なことなのである。そして、それを認識させることができるのがプロなのだろう。
そういう観点から、最後に、今、お腹の中に子供がいるという叔母に対し柔らかい食感を求めて、豚汁の作り方を変えてみる桜田。豚汁の具材を最初に炒めるかどうかの話なのだが、確かに、肉が入る以上豚汁はその旨味を具材に閉じ込めるために最初に炒めるのが王道だが、その処理をしないことで、確かに胃もたれは軽減するだろうし、すべての具材の旨みが汁の中に溶け、食感も柔らかくなるという話。この辺りも数学に見えてきたりもする。まあ、ドラマは違えど、料理の話というのは論理立てて考えればまた面白いというところ。
そんな桜田の気遣いを知り、安心して去っていく叔母さん。今回もなかなかいい話でした。というか、料理の話を介すると、人は笑顔になってそれを聞けたりしますよね。あくまでも、心を込めて料理して感謝しながら生きていこうと思わせる回でした。