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「女神(テミス)の教室〜リーガル青春白書(第11話)」社会に旅立った向こうに待ち構えるもの・・。
10話から3年後という設定、前田旺志郎以外は、司法職についていて、理想と現実の違いの中で惑う日々。前田はアルバイトしながら司法試験に再挑戦していて、試験が終わったばかり。そんな彼は南沙良が裁判官を務める裁判を傍聴したり、友人たちを尋ねて話をしようとするが、なかなか皆忙しい。というか、ロースクールで学んだ、人に寄り添うということがなかなかできなくて、皆苛立ちがある。それが、裁判官も弁護士も検事もみな同じようにあるというのが面白い。ドラマにも出てくるが、案件が多いので一つ一つにそんなにのめり込みことができないのが事実。北川景子が効率が悪いと言われていたこともよくわかるというところ。
そして、同時期に北川は及川光博に文部科学省でスピーチをするように頼まれる。ロースクールに意味があるのかという問いに答えるためである。司法試験の合格率が悪い学校から潰せという官僚の言葉にどう答えるのか?というところ。
そう、この最終回は10回に亘って語られてきた、司法がどれだけ人に寄り添えているのか?という部分をまとめたエピローグということなのだ。特にドラマがあるわけではないが、最後に前田が司法試験に合格したところは、「よかった、よかった」というところ。彼が試験が終わって、友人たちのところを彷徨っていたのは、確かに自分に自信が持てないというところもあるだろうが、その先にある司法職に就いた時に、自分はきちんと仕事をこなせるだろうか?というところにあったのだろう。そして、自分より優秀だった友人たちが、ことごとく理想を述べると壁にぶち当たる感じを見て、リセットを求めるというラストである。
それは、北川が最後に文科省で語るスピーチにシンクロしていく。北川はロースクールで友人と一緒に法律を学んだことで、人として豊かになったという。そして、その豊かさが司法職に就いた時にとても役立ってるとも。学校の生活で学んだことをこのように述べられる人が今、日本でどれだけいるだろうか?すべての学校が社会に適応できる人材を育てるためにあるわけだが、実際のところ、学校に行ってそう感じる者は、全体の20%も私はいないと思う。ここでの北川の言葉には、教育改革すべき根源の部分がある。どんな大学でも専門学校でも、未来の仕事を想定してあるべきで、その向こうには全て人間が存在する。そして、医者や弁護士など、国家試験が必要な職に関しては、試験を通ることが先になり、その向こうにある人間としての豊かさみたいなものはなかなか学べないのも現実だ。
このドラマは、そんな現実を少しでも変えられたら?というところにテーマがあるのだろう。だから、皆が職について忘れてしまいそうなことを、最後に前田が教えてくれるみたいなラスト。なかなか清々しかった。実際に司法職に就いたり、就こうとするものがこのドラマを見て、どう感じるかは未知数だが、社会人とは何か?みたいなテーマ性を私は評価したい。
北川景子も、こういう裁判官がいたら、なかなか素敵だという役を上手くこなしていたと思います。続編は難しいかもしれませんが、司法職をこなす北川景子はもっと見たい気がしました。