「御上先生(第3話)」学校の在り方の前に国のあり方、生き方、自立のあり方
まずは、堀田真由への接見シーンからの続き。ここで、堀田が試験会場に最初にやりたかったのは自爆テロだとわかる。流石にここに出てくるような態度でいたら、自爆する前に追い出されるのが普通だが、彼女は人殺しを実行できてしまった。色々仕事に集中していない日本を表しているのか?そして、拘置所から去る松坂桃李にかぶって、英語の「仰げば尊し」が流れる。これはどういう意味?何も、誰も卒業していないじゃん・・。
で、初回から新聞作って校内を賑わせている奥平大兼は、さらに記者ごっこを完結しようと常盤貴子に取材する形。だが、それをプロの記者に撮られる不始末。彼がこのドラマを動かすということではないから、こうなるのだが、この話にただの点であった生徒たちが、つながってくる。ある意味、そうやってここにいる生徒たちを紹介しながらドラマが動いていく。それにより見ている方の視点が動かされる。こういう学園ドラマは新鮮だ。
まずは影山優佳。彼女が帰国子女であり、日本の生徒の動きに色々不満もあり興味もあるというのがわかる。そう、日本の高校でディベートの授業などはないが、それをやるのは道徳を教えるよりは有効だろう。言葉を操る方法を教えることは人の大きな武器になる。ただ、それを教えられる日本の教師がいるとは思えない(いるとしてもほんの少数である)
そして、文科省が承認した教科書を使わないことで教師を辞めさせられた父親が倒れた上坂樹里の、そのことに関するカミングアウト。そして、その問題を解説する蒔田彩珠。そう、こういう問題を松坂はみんな知っているわけで、その問題を問われても驚きはしない。そして、それが社会だという態度で受けるわけである。
そして、学級委員の窪塚愛流が見つけ出したのは、松坂の兄が高校でテロまがいの状況で死に至った過去。確かに、こういう過去はネットの奥底に眠っている。我々の罪はこのようにネットの中に堆積していくということなのだ。だから、人に対する許せない悪口を直接言わなくても、ネットの隅に書き込んでるやつは無数にいると思う。だから、自分勝手な阿呆は普通に罰せられるような世になっていくのかもしれない。で、そんなことより、窪塚が他の生徒のようなサラブレッドではないというところがこのドラマにどう影響を与えるのだろうか?その辺りも興味深いところ。
で、松坂の同僚である岡田将生は実際のところ何をしようとしているのか?そして、松坂自身は学校の中で何を明らかにし、どこに着地点を見出すためにここに存在するのか?そして、生徒たちもまた、各々にどこに飛んで行こうとするのか?そう、それぞれに対峙するものたちにぶち当たっていき何が起こるのかが分かりにくいところがこのドラマのサスペンス性なわけである。そこに、プロの記者が入り込んできた。
そう、それを考えると、このドラマはただの文科省批判とか教育批判とか日本の社会批判というような単純なものを描こうとしているのではない気が」してくる。そう、このドラマ自体が日本の姿であり、そこの存在しうる膿がこれから姿を表してくることの怖さがあったりする。そして、吉岡里帆の不安な顔は、視聴者と同じ視点に感じてきたりするわけだ。今回の笑顔のない吉岡は妙に色っぽく見えるのは私だけだろうか・・。
今回、ドラマがギアチェンジしている。誰が次のギアを入れるのか?