
「御上先生(第6話)」誰かが変わる瞬間を見られる仕事が教師?歪な世界の中で、人は変われるのか?
第6話で、松坂桃李演じる御上先生が何故に、この高校にやってきたと言う話を綴る。そこには、このドラマのテーマが明確になってきていた。面白くなってはきたが、そこには日本の官僚批判があり、教育の構造批判があり、そして、教育とは何か?と言うメインディッシュが待っているのだろう。このドラマをみて、今の高校生の当事者はどう考えるか?そこは重要なところであろう。
今回はまず、吉柳咲良が、生理用品を買えないくらいの貧困の中にいると言う話から入る。この命題は、次回の主題のようだが、ここに置くのは、そう言う問題が火を吹くには時間がそれなりにかかると言うことか?で、最後には痴呆の父を介護する姿、そして万引きか何かで捕まり松坂のところに電話がかかってくるところがラスト。「貧困」と言うキーワードがこの学校の何かを明かすと言うことなのだろう。で、彼女の友人が政治家の娘だという髙石あかり。彼女がそこに続いて主役になってくるのかもしれませんよね・・。
その話より、大事なのは、松坂の兄が高校時代に自殺したことが、週刊誌にリークされるところから。そして、それを受けてその状況が松坂の口から話される。
松坂の兄は、通っていた高校が、発達障害の人間を扱いづらいと落とした。それで学校に対して抗議した。そして、そのことに対して一人で戦い、最後には自死を選んだと言う話だ。そして、その兄の同級生が、養護教諭の臼田あさ美だったと言うこと。そして、この学校に彼を呼んだのも彼女だったと言うことがわかる。
そして、兄のやったことに対し松坂は「兄が歪んでいたんではない。世界の形が歪だったんだ」と言う話をする。そう、高度成長の日本の中で作られた様々なシステムが歪な状態で今に残ることと同じだ。だから、教科書検定などと言うものも残っている。そこには、国の自信のなさ、国民の自信のなさも垣間見れる。
そして、松坂は文科省を目指し、そして入ったが、そこは「巨大すぎる思考を停止した組織」だと言い放つ。こう言う言葉が出るドラマが普通に放送される日本はまだ歪に凝り固まったものを解放できるのかもしれないが、まさにこの一言は、我々日本人は素直に認めて、国のあり方、政治のあり方を変えなければいけない時期にあるのは事実だろう。
そんな凝り固まった日本の中で、20世紀後半に芽生えたインターネットの話が出てくる。ここで、窪塚愛流が、一般の人がインターネットを使うようになって30年くらいかと言う話をする。それが、彼の部屋のようになんでもできそうな基地になってしまったと言う話。ある意味、ここに出てくる高校生たちは、それが無い時代、テレビや電通が支配していた時代を知らない。そして、そこに操られていても楽しかった時代を知らない。ある意味、そんな時代があったから、日本は政治に対して無関心な国民になったと言うことも知らない。そんな世界でも、貧困は襲ってくるみたいな話が、次回につながっていくのだろう。
そして、奥平大兼が常盤貴子の居場所を突き止めてまた対峙する。そんな中で、常盤は先生という職業について「誰かが変わる瞬間を見続けられる仕事」だと述べる。確かにそうなるなら楽しいだろう。しかし、実際の高校は大学に行くための予備校でしか無いというのが本質であり、この学校のように予備校と提携しているところは尚更だろう。そこに暮らす高校生の変化は点数でしか無いのではないか?
そう、そんな中で「金八先生」を全て見ているような吉岡里帆みたいな教師がいるのも不自然ではある。彼女もラストで「教師って本当に大切な仕事なんですね」というセリフを吐く。そんな教育に対する綺麗事のセリフの羅列が、このドラマのクライマックスのゴングにも聞こえたこの6回目でありました。私的には本当に面白いのだが、こうやって文章に起こすことがなかなか難しいと毎回思う。私たち、日本の未来の教育はどうあるべきなのでしょうね・・。それは、高校無償化とかやったって何も変わらないと思いますよね。