「明日の食卓」力強い現代の家族映画。女優たちの演技により炙り出されるテーマは重い
瀬々敬久監督作品、そして尾野真千子が出ているということで観たいと思った作品。同じ名前の全く違う様相の違う家族と子供。それなりにバランスが取れて幸せそうな家族のバランスが壊れていく様を描く。そこに現代の家族像が見てとれる。今撮られるべき映画であり、今、観られるべき映画だと思う。日本は、それほど、デインジャラスな中にあるということなのかもしれない。
原作は椰月美智子。読んだことのない作者だが、この題材を選び書くということは、なかなか鋭さを感じる。それを瀬々敬久監督が作り込む。出来上がったものは、異なった三家族の話が坦々と語られる中で、家族、子育て、仕事、介護、教育みたいなものが複雑に絡み合った社会を観客に執拗に批判する感じで進んでいく。
そして、その中心にいるのは、母親三人。菅野美穂、尾野真知子、高畑充希という演じる女優三人は、それぞれに10歳づつの年の差がある。だが、その違う世代の母親が、皆、似たようなバランス悪い社会で一生懸命でいることは確かなのである。そういう混沌とした現代がうまく表現されていた。
そして、その母親たちの映し絵が子供たちということなのかもしれない。ここに出てくる全ての子供達に愛情が足りないのは、今の社会がそうさせたということなのだろう。母親がいろんなことを悩み、頑張れば頑張るほど、子供の心は離れていく感じ。だが、子供たちが求めているのは信頼できる母親だ。その現代のバランスの悪さが映像として観客に叩きつけられていく様はなかなか強烈だ。
瀬々監督の前作「糸」は、現代の中で自立しようともがく男女が最後に結びつく話だったが、そこにも、現代が抱える多くの問題への批判精神が感じられた。監督の目は冷静に現代を切り取ろうとしている。こういう目的が明確な監督が今、多くの映画を撮れることは幸せなことだと思う。
しかし、この映画、男は全く役に立たない存在のように描かれている。これもまた現代的なのかもしれない。ふた昔前の女性映画でも、男たちは家庭で居場所がないことは多かったが、こんなに主張しないようなことはなかった。それが事実に近いことはわかるが、なかなか辛い時代だ。
女優三人の中では、高畑充希が最も印象的だった。寝る時間も惜しんで働き続ける頑張り屋の息切れみたいなものもよく表現されていたし、役柄のプライドを感じる演技は惚れ惚れした。母役の烏丸せつことの会話のシーンも好きだし、ラスト近くの山田真歩が彼女を風俗に誘うシーンで、最後に啖呵を切るシーンには惚れ惚れした。高畑充希はまだまだ、おおおきくなる女優さんなのだろう。
私が注目の尾野真千子は、安定した演技を見せるが、役所は一番難しい感じ。息子がパラサイトと呼ばれてしまうような状況、義母の真行寺君枝が認知症気味、夫の大東駿介は遠距離通勤で家にあまりいないという状況下で、家庭を守ろうとする役は難しすぎる。でも、彼女の演技あって学校で彼女を罵る水崎綾女も印象的に見えたのは確かだ。最後に、新興宗教に縋ろうとする役はなかなか難しい。そして、子供を見かけて、そこに引き込まれないような感じのラストは未来につながるということか?宗教に未来は作れないと私も思う。
菅野美穂の役は、仕事をフリーランスでやっていて、夫は失業、子供たちは喧嘩ばかりという、これも大変な役だが、冷静に考えれば、ここの家族が最もなんとか元に戻せるような気もする。そして、最も現代によくある家族がここなのだろう。菅野の演技は、やはり他の二人に対して印象が弱い。そこがこの映画の弱点になっている気もした。
そして、菅野が同じ名前の同じ歳の子供が母親に殺される事件をルポし、拘置所に接見にいき、「自分も同じようになったかもしれない」という話でまとめるのだが、この話はなくてもいい気がした。三人の家族の在り方が最後になんとか未来に向かえばそれでいい気がする。
それを印象付けるのが、飛行機雲なのだろうが、ここは、映像として描き方が不十分な感じだった。希望を感じる飛行機雲になっていないのだ。
とはいえ、瀬々敬久という監督は、日本映画の中で現代というものを切り出し映像として紡げる数少ない監督であることは確認できた。