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「海に眠るダイヤモンド(第7話)」炭鉱とは常に危険が伴うとともに、一瞬で無きものになる悲しさ
次回から最終章ということらしい。今回は1964年に起こった端島での事故についての詳細を描いて、なかなか見応えがあった。「黒部の太陽」のようなダイナミックな展開がテレビの画面で見られる今なのである。考えれば、「黒部の〜」も発電増強をするためのエネルギー政策の物語であり、そこでも死者が多く出たことは、この話にもリンクするところだ。
しかし、この事故の流れを脚本で書くのは大変だっただろう。実際に画になるとどうなるか?いや、どこまでできるのか?というのがわかりにくい。とはいえ、TBSで何度もタッグを組んだ脚本家と演出家ならこのくらいわけないということか?日本の女性だけでこれだけのものをこさえられる時代なのだなと感動する私である。
そして、考えれば、エネルギーの開発というのは事故とリスク回避とを繰り返してきた歴史なのだなというのがよくわかる。昔の炭鉱の話には爆発事故みたいなものはつきものだし、今だって原子力発電所が全然安全でないものであるというのは、この当時と変わっていない。そして、事故を起こした場所は人の生活も脅かすという現実も同じ。
で、前回、結婚や出産や告白などてんこ盛りにした後でのこの流れだ。本当に時代とは人に優しくないことが多い。だが、人はそれを乗り越えなければ明日を迎えられない。それが人生か・・・。そんな儚さを多く感じさせた今回。
とにかくも、最初の爆発から始まって、最後に消化をあきらめ、長年にわたって掘ったトンネルを海に沈めるという最悪の決断まで、本当に見ていて疲労感を感じた。テレビドラマでこういう疲労感を感じることは珍しいし、最後の苦悩みたいなものもよく出ていた。沢村一樹、國村隼、斎藤工、神木隆之介、彼らの立場は違えど、ただただトンネルを守るために必死になる姿は、暮らしを守る姿でもあるわけだ。時は高度成長期、そして、新幹線開通、オリンピックと、日本が戦後の力強さを取り戻した時期に、ここに一気に夢破れたものを描くというのも皮肉だし、これが、この島の未来が閉じるきっかけになったということでの、まるまる1時間のドラマということだったのだろう。そう、ラストに斎藤工が倒れて終わるが、その倒れる前には妄想の中にいる。夢の中に彼は彷徨うという流れ。それは、島の未来も暗示しているという描き方なのかもしれない。
今回は、現代の宮本信子と神木の会話は少なかった。端島の神木が今どうしているかのヒントもなかった。まだまだ、わからないことだらけなのだが、この端島の未来が見えなくなったところで、人はそれぞれの新しい道を歩き出したということなのだろう。そして、それが全国の炭鉱の閉山にもリンクしていくわけだ。ちなみに「フラガール」で有名な常磐ハワイアンセンターの開業が1966年。端島の事故がここでなかったにしても、その未来はそんなに長くはなかったというのが事実なのだろう。
さあ、ここから、ドラマがどこにフォーカスを当てていくのか?まだまだ、よくわかりませんが、楽しみです。