「日曜の夜ぐらいは...(第6話)」タイトルの意味が浮かび上がり、気持ちが昂る感じ
先週までは、このチームができるまでの話であり、今週からはカフェを開いて夢を成就させる後半戦と考えていいのだろう。明らかに出演者、皆のテンションが上がっているのがわかる。だからこそ、見ている方もニコニコしてしまう1時間だった。
最初に良い物件を自分たちのものにできなかったのを描いたことで、この辺りで紆余曲折するのかと思ったら、一気に店舗の仮契約まで進む。いろんな偶然が重なって、こういう話は引き寄せられていくことは現実にも確かにあり。ドラマの中でそんな奇跡を視聴者が一緒に体現しているような脚本はお見事。私は「引き寄せの法則」の使い方を信じている人が上手い脚本家になれるのだと思う。そう、小説などもそうだが、考えて書いているうちは良いものは書けない。そんなことも思わせるグッドジョブな感じに見えた。
銀行のATMの前のシーンでは、巧みに銀行で詐欺を疑うシーンもでて来たり、彼らが200万円を振り込むことの重要性みたいなものをなかなか思いを込めて見られる感じは良かったです。
そんな、彼らの勢いに負けたというか、その中に入りたいというように、川村壱馬が打ち合わせを提案してくる感じも良い。うまくいく仕事は、テンポ良く進むというお手本。そして、ここから川村自体も、このチームに気持ちがシンクロしていく。物件を見る中で、彼もまた自分をうまく表現できずにここまで来たことがわかるシーンが出てくる。岡山天音の存在もそうだが、男と女がいれば恋愛に繋がる的な短絡的なドラマを操って視聴者に訴える時代ではないことを教えてくれてるような気がする。そう、ドラマを昂らせるものは「夢」であり、それを追いかけることだ。そこに恋愛があってもいいが、それは付属品に過ぎない的な流れは、これからのドラマの流れの中に確実にあると思う。
そして、今回の最後は清野の家に集まって、何故に皆がラジオを聞くようになったかの話に至る。テレビとは違って、ラジオとはつけた時に偶然に聞いていてリスナーになったみたいな話が多い。そう、現代に存在するラジオはあくまでも日常の偶然の中で波動が伝わるみたいなものだ。このドラマはその偶然を起点にしてることで、我々視聴者も偶然の中にそれを見ている感じに仕上がっている。そして、ここにいる生きるのがうまくない人々は、たぶん、この世の過半数の代弁者みたいなものだ。日曜の夜に聴くラジオでなんとか月曜日のギアを入れる人々。他人事ではない。だから、このタイトルのこのドラマは、目一杯夢を見ながら月曜日に投げかけられているのだろう。そういう仕掛けもオシャレである。
まだ、カフェが完成するまでは紆余曲折があると思われるが、本当に今すぐ行きたくなるカフェが早く見たいという気持ちでいっぱいである。