「最高の教師 1年後、私は生徒に■された(第10話)」教師が生徒と対峙することの難しさと、その幸せと
最後に病室で生徒たちに囲まれる松岡茉優。そして、みんなに「卒業おめでとう」という松岡。ある意味、ハッピーエンドではあるのだろう。クラスは松岡によって、ある一つの共有するものができた感じではある。それを言葉にはしにくいが、人間として生きていくために忘れてはならないものだったりするわけだ。確かに高校という場でクラスの友人を通じて学ぶべき人間感的なものがあり、それが受験で蔑ろにされる中で日本は今の現状の住みにくい感覚を抱えているような気もする。
最終回、季節は一気に過ぎ、前回、警察に向かった生徒たちも帰ってきて卒業式の日になる。松岡は、芦田愛菜と同じように明日が見えてこない。このドラマのタイムリープという設定があるのは、この脳裏の認識を描きたいだけだったのかもしれない。ここでは、自ら命を落とそうという者は、最後の奥平大兼だけだ。そして、彼の脳裏にも幸せな未来が見えてこないという認識があったということだろう。
「生きる」とは自分自身の世界を生きることなのだが、この世界では他者の関与がなければそれは成立しない。ある意味、若い時期にその大切さを教えるのは難しいし、奥平のように、クラスの空気には順応せずに、客観的に自分をみてしまう子も少なくないだろう。ラストに奥平の話を持ってきたのはなかなか重い話で、松岡の彼に対峙する姿も明確だったし良いラストだとは思った。
先にも書いたが、このドラマは学園ドラマの体裁をしているが、社会への問題定義ドラマであると私は思っている。毎回の主人公の子供たちを大人に変換しても似たような問題は起きているし、心が高校生のままでいるような社会人も多い現代で、なかなかの心の劇薬ドラマとして面白かった。
だが、私が気になるのは、このドラマを見て、現役の高校生たちがこの話をどう見るかだ。現在進行形で「いじめ」という事象もあちこちで存在するだろうし、クラスを静かに仕切るような悪も存在するだろう。その現場にいる彼らの感想が聞きたいところだ。残念ながら、ネットが発達した現在、それを使っても真実は分かりにくいだろう。
教師側から見たら、夢物語に見えてくるかもしれないし、タイムリープしてやり直しなどナンセンスと簡単に言う方もいるだろう。ただ、そう言う無関心を装う人にも何らかの釘を刺すようなドラマの強さを感じたことは確かであり、そう言う意味で新しい学園ドラマだったと言っていいだろう。
松岡茉優の抑えた感じの芝居もなかなか良かったし、ドラマのテイスト的には私的には同意できないところがあったものの、なかなかの秀作だったと思います。
ラスト病室に生徒が集まるシーンに違和感がなかったのがその証拠という感じでした。
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