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「君の花になる(第3話)」比較論の不快さと、比較論の必要さ

ラストは、高橋文哉と本田翼の恋愛模様がスタートを切ったということなのだろう。ここに持っていくのが意外に早かった。というか、高橋は基本、高校生の時から本田が好きだったというようなことなのだろう。少なくとも、自分を認めて応援してくれていたわけなのだから。木南晴夏の別れの場面を見せられてそれが明確になったという流れは、結構好きである。

だが、今回の主人公とも言える、内田有紀が最後に簡単にみんなに謝るところはいかがなものか?確かに、上記した木南たちとのやりとりを見てのことだが、こういう鉄メガネと言われるような人がそんなに簡単に謝罪ということはしないと思う。それは、私の経験からしてもそうだ。そう、ある意味、馬鹿にしている人に対し謝ることのができる人は、この世に30%くらいしかいないと思っている。そして、それは、責めても仕方ないことだ。

そう考えれば、ここでの内田有紀はとても良い人である。本田の愛嬌があるところに嫉妬していたというようなこともはっきりいうわけだからだ。今回の最後で本田と内田が対峙するシーンは結構な緊張感があった。内田が作り出した空気感なのだが、本田がそれを受けられるということは、本田の俳優としての成長を感じたりもする。

そして、本題、8LOOMの売り出し計画が今一つ行き当たりばっかりなのは、ちょっといただけない。内田は、成功したチェイニーと同じようにすればいいという見解。それは、普通に考えて違うだろう。そういう方法でトップスターになった試しはないと思う。そう、ここであくまでも内田からは比較論以外の指示は出てきていない。まあ、あくまでも、今の彼らには何もないということを視聴者に訴えているようにも見える。

そして、出てきたのがSNSでの着ぐるみダンスでの拡散、そしてテレビ出演を持ってきたのはさすがだが、ここにおいて着地点のイメージが全くないのがすごい。そういう感じの目先だけで動かす人は、思った以上に多いということだ。着地点がイメージできないと、エンタメでの成功はできないのだろう。そう、比較論で、「あいつらみたいになろう」では、そこを超えることができないのだから。ただ、比較するということは、一つのライバル論であるわけで、あいつらを越えるにはどうすればいいか?という見解になれば話は別。そんな中で、彼らのオリジナリティーができて、比較など関係なくトップを目指すことを考えれば、着地点は見えてくる。それは、どんな業種でも同じだろう。そう、比較論は危ういが必要だということだ。

そんな展開の中、今回は高橋がギターを奏でるシーンがなかった。これは毎回入れるべきだ。そして、彼が作る歌が素晴らしいということをまずは視聴者に認めさせるべきだ。そうしないと、視聴者は彼らがスターになる妄想もできないからだ。まず、視聴者を8LOOMのファンにすることをこのドラマは怠っている。そして、高橋よりも、宮瀬流弥の方が目立ち出したのが、少し気になったりもします。

ここから、本田翼が認められ出して、彼らのオリジナリティーの発掘みたいなものが行われるとは思うのだが、恋愛模様とのバランスがどうとれていくかというところが大事なのでしょうな。しかし、今クール、濃厚なドラマが多い中で、こういう軽いドラマがそれなりに成就してくれることを望んだりもします。

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