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「エルピス~希望、あるいは災い~(第9話)」正義(利権)を守るためなら、他人の命まで軽く扱う人々がいること・・・。

ある意味、最終回の前に、岡部たかしがニューススタジオを壊しにかかるというのは、このドラマの本意なのだろう。つまり、腐り切った職場、世界に対して当たるところは、昔自分が正義と信じて働いていた職場。そして、自分の位置から見た風景が、あまりにも腐っていて耐えきれないという心象風景。真面目なサラリーマンなら、こういう風景を見て、さまざまなものを感じるだろう。そういうものを感じさせるのが今の日本国なのである。

今回は、先週、長澤まさみが週刊誌のスクープを出せなくなった経緯からの導入。長澤は決してただのアナウンス人形に変わったわけではなかった。しかし、誰の圧力かは知らないが、その圧力を受け入れて仕事をしなければならない。テレビ局というやつは自分が正義と思う輩のために利用されるマス媒体だということだ。個々人の硬質な意見など最も必要のないものだ。多分、今の日本のテレビ局のニュースシーンは、これ以上でもこれ以下でもないはず。そうでなければ、もっと面白くなるはず。

だから、それに従えない眞栄田がヒーロー的に存在するのだ。まずは、週刊誌のマキタスポーツが「スクープは諦めない」と彼に言う。確かに活字媒体というのは出すタイミングが重要なのだろう。それは、歴史の波動のようなものだ。読むものにどれだけ衝撃を与えるか?そういうことを考えているだけ、まだ活字媒体は死なないという作者の声のようにも取れるシーン。

それと、相反するように冤罪のスクープをYouTuberに金で売ろうとする、テレビ局の三浦貴大。ネットというものの、不確かさみたいなものを明確に表すもの。テレビ局の人間は、やはりプライドよりも金ということなのかもしれない。自分が可愛いメディアは衝撃的な流れを作れない。これも、今のテレビというものを持っている波のない波動。電波なのに波を立てないようにする糞さ加減を表せている。そして、ネットを敵とは考えていないのは、自分たちもそこで楽しみ、そっちの方が面白いと思っているからだ。

そんな流れで、岡部たかしが、何故に報道から「フライデーボンボン」に飛ばされたかがわかる。冤罪にも引っかかる副大臣の関係者の強姦揉み消し事件があったという話。これは、やはり伊藤詩織氏の事件がヒントなのだろうか?このドラマ、今の日本に浮かび上がる糞みたいな風景を、これでもかと言うほど、見せてくる。カルトと壺の話が出てこないだけだ。

とにかくも、岡部が、かなり前向きなジャーナリストだったことがよくわかる。そして、彼がお蔵になった内部告白のビデオを眞栄田に渡し、その証言者である副大臣の秘書で娘婿の(迫田孝也)を紹介する。眞栄田はその周辺をもう一つのスクープとしてマキタのところに持ち込み、副大臣を追い詰めた感が出てきたところで、迫田が自殺したというニュース・・・。

その通夜の会場にいた鈴木亮平に向かって、岡部は「本当は他殺か?」と鈴木に言い、「もう、戻ってこられないぞ」ともいう。そう、政界を取り巻く国の闇はパラレルワールドと言ってもいい。その異世界が平気で一緒のフリをして存在する国が今の日本なのだ。

そのリアルな証明が、この間の岸田文雄の防衛費倍増の演説と言ってもいい。国民が誰も思ってないことを平気でやってしまおうとする。カルトと一体化する今の政府は、私たちにとってはパラレルワールドもいいところだ。異世界の人に、自分の払った税金を使われる阿呆らしさは言うまでもない。

回を追うごとに私自身の怒りとシンクロしていくこのドラマ、渡辺あやの着地点はどこにあるのか?年末に我々にどんな光景を見せてくれるのか?まさに、パンドラの箱を開けたあと、最後に何が残るのかを問うドラマなのだろう。

ラストの長澤まさみの流す涙は、報われるのか・・・?



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