「罠の戦争(第10話)」上を目指すことと、良い仕事をすることの乖離のある政治ならいらない
杉野遥亮が怪文書の犯人だということは、今回の初めからなんとなくその臭いはしていた。そして、そこにうまく竹の花の話がはまっていくところがなかなか面白かった。
正直、前回で幹事長おろしを仕掛けた草彅剛は、一気に劣勢の中にいる。彼は息子のための復讐というところでは、自分の正義感が優ってうまく立ち回れたが、それがひと段落すんで、政治戦争の中に引き込まれた瞬間に我の本質みたいなものを失ってしまった感じ。確かに、総理から「副大臣」という人参をぶら下げられたら、そこに飛び付かぬものもいないのだろうが・・。
そして、この総理の高橋克典が何を考えてるのかよくわからない。自分のいる派閥が最大派閥でないところから、どうにか党の中でうまく立ち回って、目障りな岸部一徳の影響力を無くしたいのだろうが、若い無謀な賢い者も邪魔なわけである。そう、人間、誰もが自分が一番可愛い。組織が大きくなればなるほど、その自分を持ち上げる無能な者たちが必要になるという構図。この構図で、日本の昨今は政治もビジネスも停滞するしかなくなっているのである。若く、本当に賢いものは国にとらわれることも嫌で海外に流れていくのが現実。そうなると、何もない中で政治家として力を持つことがいかに大変かがよくわかる。一つ首を出せば、一瞬で叩かれ沈まされる。
そして、この世界、嫉妬の激しさは、どの業界よりも強いのだろう。草彅も小澤征悦に対して、嫉妬して自分のポストを奪い取ったように思ってしまう。本当に、日本の政治家はもっと精神的な安定から入らねばダメだろうと思う。変な宗教団体に援助してもらう前に、自己の精神性をもっと鍛えるべきだ。それができる人の集まりなら、公明党みたいな変な集団もできないのだ。宗教は一部の人を救うだけのものでしかない・・。
まあ、今回の草彅の動きは視聴者から見ても納得できるものではなかった。政治家としての仕事よりも、敵を倒すためにしか動けないクソ野郎に成り下がっている。その風景を見て、杉野が怪文書攻撃をしていたのもよくわかる。
まあ、いやらしい人物像としては、田口浩正の演技がかなり秀逸だが、演技の違いこそあれ、草彅が田口化することで、全ての敵から罠をかけられる感じがわかりやすいのが悲しい。そう、それは、今の日本の政治に関する悲しさでもある。
さあ、次回が罠の戦争の終了ということになるのだろうが、草彅が罠にハマったままなのか?井川遥の気持ちや行動にも気になる点がある。このドラマ、平和な家庭がその生活を政治に踏み躙られたところから始まっているわけだが、踏み躙られた本人が、また別の誰かの心を踏み躙るという流れは、ある意味、先に書いた精神的世界の考え方からは正解な話なのだ。そういう中で脚本家の着地点がどういう本質を訴えようとするのかは興味深いところではある。