「初恋と悪魔(第6話)」松岡茉優の2人格が混沌とし始めて、連続殺人に続くわかりにくさ
坂元裕二の脚本という感じにドラマが変色してきた。初めは、警察あまりもの探偵団みたいな感じで、何を描きたいのかが見えなかった。今だ4回までのプロローグ的な部分が必要なのかもわからない。そして、先週、安田顕が弁護士だったことがわかり、林遣都が刑事として復職。そして、最後に、松岡が自分で話していた蛇女として登場。ドラマの温度というか、色味が変わってきた。
そして、今週は、前回までのドラマとして存在したテイストが大きく転換している。坂元脚本として見ている視聴者は、こういうのに単純についていけると言っていいのだが、そんなこと考えずにテレビでこれをリアルタイムで見ている人たちには、わかりにくいも良いところだろう。このドラマ、視聴率的にも苦戦しているようだが、導入部の4話が邪魔だったのではないだろうか?最初から松岡茉優の二重人格の話から紡いで行った方が、ドラマとしてはミステリアスで、次が見たくなる感じになった気もする。
そして、回想の中での満島ひかるの登場は、坂元脚本の元ではすごく不穏な感じを視聴者に思わせる。イレギュラーという感じといった方がいいか。でも、その存在を二つの人格の松岡が話す感じになっていないのが、もう一つしっくりこない。まあ、自分が昔存在した工場に言って、記憶の断片が蘇ってきたという流れなのだろうが、その失っていた記憶を淡々と仲野太賀に話すところは、唐突すぎる気はする。
そして、安田顕が持ち込んできた、昔の殺人事件と、仲野太賀の兄が自殺に追い込まれた事件とが近寄ってくるのはわかるのだが、そこを描きたいなら、先週の主役四人の結託的カラオケシーンなど無駄にも思える。そういう。脚本の芯棒みたいなものに派生してくる、サイドストーリーが使い捨て的なところが、私には、余計なものとしか見えない。
確かに、ルービックキューブのように、いらない場面みたいなものがいっぱいあった後に、ピースがしっかり嵌るような感じにしたいのはわかる気がする?脚本家にしたらそんなことも考えずに、思いついたものを入れ込むことで、視聴者がパズルの本質を見失うようにしているのかもしれない。だが、結果的には、そんな事象で見えたシーンは視聴者からすればどうでもいいことだ。
まあ、なんとなく、合わせなくてはいけないパズルのピースが見えてきた今回。ここまで到達するのに6回を要するのは、なかなか辛い感じ。そして、松岡茉優の二重人格の話もうまく使えていない。というか、こんな家出少女で、どう考えてもまともな暮らしになかったものが、警察に入れるものなのだろうか?そういう基本的なものがしっかり抑えられていないと、脚本というものは、破綻をきたしやすい。まあ、着地点を考えての無理矢理なストーリーではあると思うが、喜んで余計なピースを見るほど、今のテレビ視聴者は暇ではない気がしたりするのだが・・・?