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「アンダーカレント」描きたい世界がもう一つぼやけているが、映画の周波数は嫌いではない。

今泉力哉監督作品だというだけでスクリーンに向かう私。一応、真木よう子と井浦新が出ているという以外の情報はなし。そんな感じで作品に向かう方が脳に感じる刺激が多いことはわかっている。

だから、エンドクレジットを見るまで、これがコミック原作だということも知らなかった。観ている段階で、短編小説が原作のようにも思えた。そう、今や日本のコミック界隈は、小説界隈より広い世界観で動いているし、それがグローバルに広がっていることは確かだ。だから、どちらかといえば主題が観念的なこんなコミックも存在することを当たり前だと思わなければいけない時代なのだろう。

話は、真木よう子が経営している銭湯が舞台。一緒にやっていた夫の永山瑛太が失踪し、休んでいたそこを再開したところに、井浦新が働かせてくれとやってくる。話は、永山を探す話と、謎の男の井浦は何者?というのを観客に問いかけるように進む。そういうと、サスペンスになるのかと思いきや、どちらかと言えば、「自分とは、他人とか、理解できてる」みたいな哲学的な展開に近い流れで、のほほんとした143分になる。

そういことで、途中から、まだ終わらないのか?と感じるようになった。少し長い。この題材なら100分前後でまとめて欲しいところ。

それはともかくも、真木、井浦、永山に加えて、リリー・フランキー、江口のりこと芸達者な面々で構成されれば、なかなかの空気感はできる。

予告編の中にも出てくるが、永山を探す探偵のリリーが真木に向かって「人をわかるってどういうことですか?」と聞く。これがこの映画の主題だろう。夫婦だって他人であるわけで、全てがわかることはない。自分の行動も信じられない人も多いだろう。だから、他人と分かり合えるとかって幻想でしかないのだ。そう、幻想がうまくシンクロしてるならその二人はなんとかやっていけるはず。

ただ、真木と永山は、永山が彼女に話していた経歴がほぼほぼ嘘だったこともあり、上部での夫婦だったわけだろう。そう言うことも、世の中には少ないことではない。そういう人の澱んだ部分というか、過去か引きずってるトラウマも含めていろんなやるせないメッセージが投げかけられてくる。

そして、舞台は銭湯。今時、薪で炊いているお風呂。人のいろんな垢を落とすところを舞台に、人の心の垢を落としていく話。そして、この舞台によって、日本人の心のわかりにくさみたいなものが描かれてるわけで、これ、海外の人が見たらどう感じるのだろうか・・。

そして、井浦の正体は最後にわかるのだが、その正体を見抜く、たばこ屋の親父の康すおんが、すごく良い印象に残る演技をしていた。

映画全体は、これを「好き」という人は少ないかもしれないが、今泉監督の映画の間は、私の心に同期しやすく、そういう意味では心地よい映像との対峙ではあった。激しい題材ではないが、観る時節によったり、感情によったりして、その心中をグサリと抉ることもあるのではないかと思わせる、不思議な映画だった。



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