「海に眠るダイヤモンド(第4話)」戦争の傷、原爆の傷を超えて、高度成長があったことの確認
世の中、一部の人々は、今週、本格的に「風の時代」になると言っている。そして、昨日の兵庫県知事の結果もそれを表しているという人もいる。いろんな面で時代が今までの論理で動かなくなっていることは確かだ。それは、古いとか新しいではなく、違う価値観の中で混沌とした状況が続いてると言った方がいいのかもしれない。私の頭の中がかなりの混乱を起こしてることは確かだ。「風の時代」というようなことをいう人は、世の中がパラレルワールドであることを信じている方も多い。まあ、そういうのを信じるというのもおかしいか?見えないもの、見えないことの可能性を認識して生きる時代になったということなのかもしれない。
そういう気分でこの4回目を見る。現代の神木隆之介は、宮本信子の会社に迎えられる。その意味はよくわからないが、彼は宮本が持っている、昔の神木(こういう言い方でいいのか?)の日記を見つけ、読み出す。そこが昔の端島のストーリーにシンクロし出す。
しかし、この端島でフォーカスの当たる3人の女優のそれぞれ異質なコントラストがすごく良い。杉咲花、土屋太鳳、池田エライザ。いわゆる混ぜても溶け合わないものが、それなりに主張している感じ。そして、彼女らは皆、その時代にいたであろう性格の女だ。
ラストの8mm、いや、斎藤工が彼女の部屋を見るところから、池田エライザはかなりヤバい生活から逃げてここにきたことがわかる。拳銃を持っているが、この時代は、結構、軍事用の拳銃が民間に流れていたのだろうか?そう、昭和のこの時代はまだカオスである。
そして、そのカオスは戦争、敗戦が招いたものでもある。一度、国が一緒に底に落ちた時、ある意味、人間の野生がよみがえり、生きることの意味を考え直す。いわゆる「仁義なき戦い」みたいな感じね。ましてや、長崎は原爆で多くの人が亡くなった土地。ドラマの中で、土屋の母親である山本未来がなくなっていくシーンはやはり悲しい。そして、その後の精霊流し。戦争や原爆で多くの人を失った中で、神を信じられるか?という部分もあっただろうが、人は、結果的には、見えない苦痛を神に託す。その繰り返しだ。
最初の方で、現代の価値観の混沌ということを書いたが、ある意味、見えない戦争みたいな中に、放り込まれた日本人は、生きる活力を失っているのだ。だから、少しエキセントリックな情報にすぐに流される。そういう日本を立て直すためには、戦争が必要だみたいな危険な思想をいうものも昔からいるわけだ。
で、時代が「風の時代」に変わると、戦争はやはり少なくなるだろうと私は思う。そして、こういう社会の閉塞を作るカオスに対し、今、生き方を求めて皆がバタバタしているのである。あまり、ドラマと関係ない話を書いているように感じる方もいるかもしれないが、多分、宮本信子の脳裏にあるカオスはそれに近いのではないか?そして、脚本家はその不安定な時代に対し、何か石を投げたくて、端島を舞台にドラマを作ろうとしたのではないかとも思う。そう、このようなユートピアは今はないのだ。時代が日本全体を端島状態にしているようにも見えるのだ。
そんなことを考えながらこの4話を見終わった。で、ここまでで國村隼と中島朋子の夫婦が毎回すごく印象的に私には見えるのだが、皆さんにはどう映っていますか?