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「海のはじまり(第7話)」周囲の人をいろんな場所に誘う四十九日

以前から、流れが遅いドラマだと私は書いてきたが、初回が葬式の日であり、この7回目が四十九日。つまり毎回7日づつ時が流れているようなドラマなのだ。多分それは、生方美久の企みではあるのだろう。見ている方も同じ歩幅で、海という取り残された少女を通じて、いろんな家族のことを考えるという企み。考えれば、「silent」にしても「いちばんすきな花」でも、恋人とか友人を描く上で、そのバックグラウンドにある家族というものを通して人物のキャラを明確にしていくところが、生方脚本であり、そういうところの明確さが見ている私たちをそそるというところがある。嘘っぱちの家族をリアルに描くことで、私たちはフィクションをよりリアルに感じてしまうというところ・・。多分、私が生方ワールドに惹かれるのはそういうところだろう。

今回もいつものように、水季と海のシーンから。それは、二人で夏のアパートを訪ねようとするところ。ここで、初回に海が夏のところに一人で来れた理由がわかる。そして、そのシーンの続きが後で出てきて、夏と弥生が仲良く出てくるところを見てしまった水季という画が悲しく流れる。とはいえ、水季が海を産んだのは、弥生あってのことというのを水季は知らないわけで、このシークエンスの流れは結構複雑なのだが、脚本家としては、水季が生きている間に弥生とすれ違うシーンを描きたかったというところはあるのだろう。そういうのが「人」というものだということなのかもしれない。

そして、今回は納骨される前に、水季が図書館ににきてからの津野くんとの関係だったり、死ぬ前の彼女の感情みたいなものをゆっくりと描いていく。それは、向こうの世界に行く前の水季が思い出しているような描き方。しかし、この回を見て、海のお母さんが古川琴音でよかったと思わせる感じも素敵である。そして、それを見た後で海が水季の棺を抱きしめるシーンを見ると本当に泣けてくる。こういうシーンの組み立ては本当にうまい。

そして、そこにかぶさってくる、木戸大聖が実母の骨を持っていてお守りにしている話。それを聞いて、ペンダントの中に水季を納め、海に与える素敵なシーン。それがあるから、弥生と夏と一緒に墓参りするシーンには涙はない。そして、そこには、生前に水季に「好き」ともいえなかった津野くんも一緒にいる。リアルであったらこういう感じにはなかなかいかないかもしれない。でも、ここに縁あって集うわけで、それは水季がそうさせているのだろうと感じさせられたりする。

さあ、ドラマもクライマックスに入るが、夏がどんな選択をして、海の未来はどんな感じで大きく広がっていくのだろうか?

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