太平記 現代語訳 3-4 変幻自在・楠正成流戦術・赤坂城攻防戦
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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笠置寺を攻めあぐねている六波羅庁軍の援軍として、関東からはるばるやってきた幕府軍であったが、まだ近江国(おうみこく:滋賀県)にも入ってないというのに、「笠置寺落城せり!」と聞いてガックリ。
幕府軍リーダーA なんだ、こりゃぁ。
幕府軍リーダーB 残念だなぁ。
幕府軍リーダーC こうなったらさぁ、楠(くすのき)とやらがたてこもってる、赤坂城を攻め落とすっての、どう?
幕府軍リーダー一同 いいねぇ!
そこで彼らは京都へは向かわずに、伊賀(いが:三重県西部)、伊勢(いせ:三重県西部)の山越えルートをたどり、宇治(うじ:京都府・宇治市)、醍醐(だいご:京都市・山科区)を経由、楠正成(くすのきまさしげ)がたてこもっている、赤坂城(あかさかじょう:大阪府・南河内郡・千早赤坂村)へ向かった。
石川(いしかわ)の川原を過ぎたあたりから、赤坂城が見えだした。
いかにもにわかづくり、という感じの城である。堀をしっかり構えているでもなく、板塀をたった一重、張り巡らしだけ。城の敷地と言っても、せいぜい2、3町四方だろうか。その中に、櫓(やぐら)を2、30個ほど並べ建てているだけ。
幕府軍リーダーA オイオイ、あれでも「城」かぁ? ヒデエもんだなぁ、ったくう!
幕府軍リーダーB なんてぇブザマな構えなんだよぉ!
幕府軍リーダーC あんなチッポケな城なんざぁ、おいらの片手に乗せて一投げだぁ!
幕府軍リーダーD あの中にいる楠正成とやらも、あわれなもんだねぇ。
幕府軍リーダーE おおい楠よ、せめて一日くらいはなぁ、奇跡でも起こって、もちこたえてくれよなぁ、おいらが城攻めの手柄を見事に立てて、恩賞に預かれるようになるまでな。
幕府軍一同 ワッハッハー!
幕府軍30万は、城にうち寄せると同時に、馬を乗り棄てて掘の中に飛び降り、われ先に城に攻め入らんものと、櫓の下まで突進していった。
楠正成 フフフ・・・来よったなぁ。
楠正成という男、陣屋の内にて練った謀略を、千里のかなたの戦場に適用して、勝利を手中におさめてしまう、というような戦の天才、まさに、古代中国・漢王朝創立時の名参謀・陳平(ちんぺい)と張良(ちょうりょう)(注1)の、肺と肝の間から生まれ出できたような人間である。
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(訳者注1)二人とも漢の高祖の参謀として歴史上に名高い。
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彼は、弓の達者な者ら200余人ほどを城中に配備する一方、弟・楠正季(くすのきまさすえ)、和田正遠(わだまさとお)の二人に300余騎を与え、付近の山中に伏兵として潜ませていた。
そんな事ともつゆ知らず、幕府軍は目の前の城にばかり気を取られ、一気に落城させんとばかりに、四方から一斉に、切り立った崖の下に押し寄せた。
その瞬間、城の櫓の上の狭間(はざま)の陰から、矢の雨が!
楠軍の射手らは、弓にしっかと矢をつがえ、弦をギリギリギリと引き絞り、鏃を押さえて狙いすませながら、さんざんに矢の雨を浴びせかけてくる。たちまちのうちに、幕府軍側、死傷者1000余人、という事態に。
幕府軍リーダーA えーっ、思ったよりも、てごわいじゃん。
幕府軍リーダーB この分じゃぁ、一日二日くらいでは、とても落とせねぇよなぁ。
幕府軍リーダーC マズイよ、このままじゃ!
幕府軍リーダーD ここはとにかくだなぁ、まずは、各々きちんと陣を取ってぇ、陣屋もちゃんと設営してぇ、それからみんなで手分けして、じっくり攻めるって事にしねぇかい?
幕府軍リーダー一同 どうもその方が、いいみてぇだね。
ということで、幕府軍は攻め口を少し後退させた。
幕府軍リーダーA とにかく、ひとまず休憩だ。
幕府軍は全員、馬から下りて鞍を外し、鎧を脱ぎ、陣屋の中で休憩を取り始めた。
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伏兵部隊を率いる楠正季と和田正遠は、戦場の状況を、山上からじっと見下ろしていた。
和田正遠 よぉーし、あいつら、武装解除して、休憩取りはじめよったでぇ。
楠正季 今が絶好のタイミングやろな。よし、行くぞ!
和田正遠 よっしゃぁ!
二人は300余騎を二手に分け、東西の山の木陰から一気に出た。
菊水(きくすい)の紋(注2)の旗二本を松の嵐になびかせ、山にただよう靄を巻き上がらせながら、粛々と馬の歩を進め、幕府軍に接近していく。
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(訳者注2)楠家の紋印である。
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幕府軍リーダーA おいおい、あれはどこの家のヤツラだ?
幕府軍リーダーB いってぇ、敵か味方か、どっちなんだ?
楠正季と和田正遠 エェイ! エェイ!
二人が率いる楠側軍団一同 オォーウ!
楠軍300余騎はトキの声をどっと上げ、雲霞のごとく並ぶ幕府軍30万騎の両サイドから、魚鱗(ぎょりん:注3)陣形をもって突撃、幕府軍陣営を東西南北へ破(わ)り通り、四方八面に切り回る。幕府軍サイドは、ただあわてふためくばかり、まともに陣形を組む事もできずにいる。
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(訳者注3)魚の鱗のように密集する陣形。自軍より兵力の多い相手に対する時に取る陣形である。
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それに呼応して、赤坂城の三つの木戸が同時にサッと開かれ、200余騎が、太刀の切っ先を並べて猛然とうって出てきた。彼らは矢を連続速射しながら、幕府軍に迫ってくる。
大兵力を擁する幕府軍であるにもかかわらず、たったこれだけの人数の楠軍の攻撃に驚きあわて、逃げまどうばかり。
幕府軍メンバーF それ行け、進め! あれっ・・・いったぇなぜ、前に進まんのだ?
馬を綱につないだまま、いくら鞭を当てても、それはムリというものであろう。
幕府軍メンバーG おのれ、この矢を受けてみよ! あれっ・・・。
弦を張りもしないで、いくら弓に矢をつがえてみても、飛ぶはずがない。
幕府軍メンバーH この鎧はオレのだぁ!
幕府軍メンバーI ナニ言ってやんでぃ、これはオレの鎧じゃぁねぇか!
幕府軍メンバーJ こらっ、それはオレの鎧だぞ! そのキタネェ手を離しやがれぃ!
こんな争いをしているものだから、主君が討たれても従者はそれに気づかず、親が討たれても子はそれを助けず。蜘蛛の子を散らすように、みな、石川の川原へ退いていく。
その道筋50町ほどには、遺棄(いき)された馬や鎧が、足の踏み場もないほど散乱している。それらをせしめた戦場周辺、東条郡(とうじょうぐん)の者たちは、その日以来、急に金まわりが良くなったとか。
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さすがの幕府軍も、思いの外の失敗続きで緒戦に敗退、「楠正成の武略あなどりがたし」と思ったのであろう、吐田(はんだ:奈良県御所市)、楢原(ならばら:奈良県御所市)のあたりに押し寄せたが、すぐに、動き出そうとはしない。
幕府軍リーダーA しばらくは、ここいらにじっくりと腰を落ち着けてさぁ、このへんの地理がよく分かってるやつに案内させて、まず、山の木をみんな刈り払ってしまおうじゃん。そしたら、昨日みてぇに、背後を襲われる恐れも無くなるわさ。
幕府軍リーダーB ここいらの家も、みんな焼き払っちまおうぜ。
幕府軍リーダーC そうそう、そうやって、後顧の憂いを無くしてから、あの城をじっくりと攻めるとしようぜ。
これを聞いて、本間(ほんま:神奈川県厚木市)、渋谷(しぶや:神奈川県藤沢市)の武士たちから、一斉に憤りの声が上がった。楠軍に親や子を討たれた者が、彼らの中にはことのほか多かったのである。
本間・渋谷軍団K あのなぁ、おいらたちはさぁ、今さら生きながらえたところで、もうどうにもならねぇんだっつうの!
本間・渋谷軍団L おまえらが攻めたくねぇってんなら、もういいよ! おいらたちだけで、城攻めすっからさぁ。
本間・渋谷軍団M そうだそうだ、おいらたちだけで攻めて、おいらたちだけがみんな討死にすりゃぁ、それでいいんだぁ!
幕府軍リーダーA マァマァ、そう怒るなってぇ。
幕府軍リーダーB ウモォー、どうしようもねぇヤロウどもだなぁ・・・。なにも、おまえたちだけで攻めろ、なんて、言ってやしねぇだろぉ!
幕府軍リーダーC じゃ、そろそろ城攻め、再開すっかぁ。
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赤坂城は、誰の目から見ても、「極めて攻めやすい城」の典型。
城の東側だけは山田の畔が高く重なる急斜面で少々の難所と言えようが、残り3方は全て平地に向かって開けており、境界には掘が一重、塀が一重あるだけ。
「いかなる鬼神が城内にたてこもろうとも、何程の事があろうか」と、幕府軍はみな、これをあなどっている。攻撃再開後、彼らは一斉に掘の中へ飛び込み、城の切岸(きりぎし)の下まで詰め寄り、逆茂木(さかもぎ:注4)を取り除いて、赤坂城の中になだれこもうとした。
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(訳者注4)敵の前進を食い止めるために、イバラの枝を敵が来る方向に立てて地面に設置したもの。
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幕府軍リーダーA おい、なんか、おかしくねぇか?
幕府軍リーダーB いったいナニがぁ?
幕府軍リーダーA 我々がここまで迫ってきてるってぇのにさぁ、城の中はひっそりと、静まり返ってるじゃぁねえかよ。
幕府軍リーダーC ハハァン、オレにはヨめたぞ、敵の魂胆が。きっと昨日みてぇに、矢を一斉射撃してきて、こちら側の損害が多数出たとこ狙って、我々の背後から軍をしかけて、乱戦に持ち込もぉってんだよ。
幕府軍リーダーA だったら、こちらにも打つ手はあるぞい。我が方の兵力から10万余を割いて、背後の山に差し向けて後顧の憂いを無くした上で、残り20万でもって、城を攻めるとしようじゃねぇか。
かくして、幕府軍20万余は稲麻竹葦が群生するごとく、赤坂城をびっしりと包囲して攻め懸けた。
しかしなおも、城の中からは矢の一本も射るでもなく、人の気配も全くない。幕府軍は勢いづいて、四方の塀に手をかけ、一斉にそれを登り越えようとした。
と、その時、
楠正成 それっ、綱切れぇ!
楠軍メンバー一同 あいよっ!
綱 プツン! プツン! プツン!
塀 バタン! バタン! バタン!
幕府軍メンバー一同 ウアアア!
なんと、塀は二重構造になっていて、いざという時には、外側の塀を切って落とせるような仕掛けになっていたのであった!
城中から、四方の塀の釣り縄を一気に切って落としたので、塀に取り付いていた幕府軍千余人もろとも、塀は倒れていく。彼らは、倒れた塀に押さえつけられて身動きもできず、目ばかりキョロキョロさせている。
するとそこへ、
楠軍メンバー一同 ワレ、これでも食らわんかいや!(注5)
木・岩 バーン バーン ゴロゴロ
城の上から楠軍は、大木や巨石をメチャクチャ投げつけ、転がしてくる。
かくして、幕府軍はまたしても、700余人もの死者を出してしまった。
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(訳者注5)河内弁においては、「われ」は2人称として使用され、「あなた」の意味となる。「食らわんか」は「召し上がれ」の意味。ちなみに、大阪府枚方(ひらかた)市には「名物・くらわんか餅」がある。その昔、淀川を船で行き来する旅人目当てに、近在の人々が「うまい餅くらわんか」と言いながら、餅を販売したのがその始まりとか。
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幕府軍サイドは、もうすっかり懲りてしまい、城を攻めようと言う者など、もはや皆無になってしまった。
彼らは城の周囲に陣を取り、城を遠巻きにしながら、形勢を窺うだけの毎日になってしまった。
4、5日ほど、このような状態が続いた後、
幕府軍リーダーA オイオイ、こうやってオチコンダ気分のまんまでさぁ、毎日じいっと陣を守っているしか、ねぇのかよぉ!
幕府軍リーダーB これじゃぁ、あまりにもフガイネェってもんだよなぁ。
幕府軍リーダーC おいらたちが攻めあぐねてるあの城ってさぁ、たった四町四方の、それも平地に立ってる城なんだよねー。
幕府軍リーダーD その中にたてこもってやがる敵といやぁ、たったの4、500。
幕府軍リーダーE それをだなぁ、関東8か国から集まってきた、わが軍勢が攻め落とすこともできずによぉ。
幕府軍リーダーA ただただ遠巻きにして、じっと指をくわえて見ているしかねぇとはなぁ・・・あーあ、もうヤンなっちゃったよ、おいら。
幕府軍リーダーB いつまでもこんな事してたんじゃぁ、「あいつら、いってぇ、ナニ、ブザマな事、やってやがんでぃ!」とかなんとか、後々までモノワライのタネにされちまうじゃん。ヤダなぁー。
幕府軍リーダーC いやいやぁ、こないだのあれはさぁ、戦術ミスってもんだよ。盾も使わねぇで、十分な装備も用意しねぇままに、いきなりエエーイって攻めちまったから。で、あんなにたくさんの死傷者を出しちまったんだ。だからさぁ、今度は別のやり方で攻めて見ようよ。
幕府軍リーダーD いってぇ、どんなやり方ぁ?
幕府軍リーダーC しっかり叩いて強化した皮をさぁ、盾の表に張っつけんだよ。そしたら、その盾、ちっとやそっとじゃ破れねぇようになるだろ? そうやって作った盾を、皆に持たしてだな、そいつを頭上にかざしながら、兵を前進させんだ、どうだい?
幕府軍リーダー一同 おォ、それってなかなかいいじゃん、やってみようぜ!
幕府軍、さっそく攻撃再開。
切岸もそれほど高くない、堀もさほど深くない、城に走り寄って塀に取り付くのは、さほど困難な事とは思われないのだが・・・。
幕府軍メンバーN (内心)この塀も、もしかしたら・・・。
幕府軍メンバーO (内心)こないだみてぇに、切って落とす仕掛けでも仕込んであるんじゃぁ?
幕府軍リーダーC とにかく、油断は禁物だぞ。いきなり塀に近づいたりしねぇで、まず、掘の底に入れ。
幕府軍メンバー一同 よぉし!
幕府軍リーダーC みんな、堀の底に入ったなぁ。よし、そこから熊手を伸ばしてな、塀に絡ませろ。そしてな、みんなで一斉に熊手を引いて、塀を倒すんだ!
幕府軍メンバー一同 よおし・・・いくぞ! セェノォ! セェノォ! セェノォ!
もう少しのところで塀を崩せるか、というまさにその時、城の中から1、2丈ほどの長さの柄がついたヒシャク多数が、サッと伸びて出てきた。
楠軍メンバーP あらぁ・・・関東から遠路はるばるお越しの幕府軍の皆様、お疲れ様どすなぁー。お風呂もわきましたし、ゆっくりおつかりやすう。
ヒシャクの中に入ったグラグラ沸きたった熱湯が、一斉に幕府軍の頭上に浴びせかけられた。
兜の頂の穴や鎧の肩の端の隙間から、熱湯が流れ込んできて、身体を焼けただらせる・・・幕府軍もこれにはたまらず、盾も熊手も全てうち棄て、ハァッと退却していく・・・あぁ、なんと見苦しいことよ。
その場で即死こそはせずに済んだものの、手足に火傷を負って立ち上がれなくなってしまった者、あるいは全身に大火傷を負って病み伏してしまう者、その数は2、300人ほどにも及んだ。
このような、「あぁ攻めればこう守る、こう攻めればあぁ守る」という展開に、「もうこうなったら、兵糧攻めあるのみ」と、幕府軍の作戦会議は決した。
この後、幕府軍サイドは戦闘を完全にストップし、各々の陣営に櫓を築いて逆茂木を構え、城を遠巻きに包囲し続けた。
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こうなると、城中の楠軍サイドは、かえって心慰む事も無くなってしまい、士気も徐々に緩んでいく。
実のところは、楠正成はこの赤坂城を、急ごしらえで築城していたのである。だから、兵糧の備蓄も十分にはできていなかった。合戦が始まってわずか20日余り経過というのに、城中の兵糧は早くも底を尽き、あと4、5日分のみを残す状態に、なってしまっていた。
正成は、楠軍団全員を招集した。
楠正成 おぁい、こないだまでの合戦なぁ、わいらのボロ勝ちやんけ! 敵さん、めっちゃ、イテこましたって、ごっついオモロかったなぁ。
楠軍団一同 はいな、はいなぁ!
楠正成 そやけどなぁ、敵サン、あれだけの大軍やろ? 残念ながら、実際のとこは、あんまりコタエとらんわなぁ。
楠軍団一同 ・・・。
楠正成 あんなぁ、問題は食糧やねん。
楠軍団一同 ・・・。
楠正成 そや、食糧、問題はこの城の中の食糧じゃぃ! おまえら、よぉ聞けよぉ、実はな、城の中の食糧、もう無ぉなりかけてきとんじゃい!
楠軍団一同 ・・・。
楠正成 かというてやな、援軍の来るあてもないしなぁ。
楠軍団一同 (唇を噛む)・・・。
楠正成 日本国中の先頭切って、陛下の天下平定をお助けしようと志した、このわしや、節を全うするために、義を重んずるためには、わが命、そうや、わが命、投げ捨てたかて、惜しぃないわい!
楠正成 そやけどやな、「大事に臨んでは、心落ち着け、謀略を練る」っちゅうのんが、「真の勇士」、いうもんやんけ、ちゃうかぁ?
楠軍団一同 その通りやぁ!
楠正成 と、いうわけでやな、ここはひとまず全員、この城を脱出しもってからに、わしが自害したようにカムフラージュしたろ、思ぉとるんやわ。
楠正成 「楠正成、自害せり!」となってみぃ、あいつら、大喜びで関東へ帰って行きよるやんけ。
楠軍団一同 ・・・。
楠正成 さぁ、そないなったとこでや、そこでまたわしが、甦るっちゅうわけやなぁ、「コラコラァ、おんどりゃぁ、チョイ待ったらんかい! 楠はまだ生えとるでぇ! わしの顔、よぉ見さらせぇ! カムバック、そうや、奇跡のカムバァックやねんどぉ!」とかナントカ言うてな、また、顔出したろかい。
楠軍団一同 ウヒャヒャヒャ・・・。
楠正成 でぇ、また幕府軍が押し寄せて来よったら、今度はな、もっと山奥へ引きこもるんや。そこに立て籠もってなぁ、4、5回ほど、あいつらカワイがったろやんけぇ。
楠正成 どぉや、みんなぁ、そないなってきたら、ヒッジョーニ、オモロイ日々の連続になっていく、思わへんか!
楠軍団一同 思うー!
楠正成 以上、わしら全員の命を完うしながら、敵を亡ぼすわしの計略や。おまえら、どない思う? どうや、わしのこの戦略は?
楠軍団メンバーQ えぇわぁ、サイコー(最高)!
楠軍団メンバーT さすがはオカシラや、わいらとは、頭の構造が、ちゃ(違)いまんなぁ。
楠軍団一同 よぉし、それでイ(行)ったルロやんけェー!
というわけで、城中に大きな穴を2丈ほどの深さに掘り、先日の合戦で戦死して、堀の中に倒れたままになっている者の死骸2、30ほどを、その穴の中に入れた。そして、その上に炭と薪を積み、風雨の激しい夜の到来を待った。
楠正成という男、よくよく天の意にかなう存在であったと見える。地球大気の運行までもが彼を助ける・・・にわかに、強風が砂を巻き上げて吹き始め、しのつくような大雨が降り始めた。
暗黒の闇の中、幕府軍全陣営は幕を引き下ろし、静まりかえっている。
チャンス到来! 城中には一人だけを残すこととし、楠正成は彼に指示を下す。
楠正成 わいらが城から4、5町ほどの距離まで、逃げたころあい見計ろぉてな、城に火ぃかけるんやぞ、えぇな!
楠軍団メンバーU よっしゃ!
楠軍団メンバーは全員、鎧を脱いで城を脱出、包囲している幕府軍の中に紛れ込み、5人あるいは3人のグループに分散し、陣屋の前、軍勢の枕の上を越えて、しずしずと落ち延びていく。
ところがここに、一大事発生!
幕府軍・侍大将(さむらいだいしょう)の長崎高貞(ながさきたかさだ)の厩(うまや)の前を通過する時、正成は、一人の武士に見とがめられてしまった!
幕府軍メンバーV おい、そこのっ、いったい何者だ! この陣屋の前を名乗りもせずに、こっそり通り過ぎていくとは、怪しいヤツ!
楠正成 いやいや、あっしは、こちらの大将の身内の者でごぜぇやすよ。ちと、道を間違えてしもぉたようで・・・。
このように答え、足早にそこを通過しようとしたが、
幕府軍メンバーV うーん、怪しい! おそらく、馬盗人だな、射殺してやる!(正成の方に走りより、彼の体のど真ん中をねらって矢を放つ)
矢 ヒュッ・・・コーン!
放たれた矢は、正成の肘の関節に音を立てて命中、そこに深々と突きささるかに見えた。が、しかし・・・鎧も着けてない身体に命中したにもかかわらず、不思議にも、矢は少しも突き立つことなく、逆向きに跳ね返ってしまった。
正成たちは、そこから一目散・・・。
楠正成 (ハァハァ・・・)あぁ、(ハァハァ・・・)危ないとこやったぁ、(ハァハァ・・・)。
楠軍団メンバーW (ハァハァ・・・)それにしても、(ハァハァ・・・)不思議やなぁ、あの矢、(ハァハァ・・・)たしかに、オカシラの肘に、(ハァハァ・・・)突きささったと思ぉたんやが(ハァハァ・・・)。
楠正成 (ハァハァ・・・)観音様に、命助けてもろたんやがな、(ハァハァ・・・)これ、見てみぃ(ハァハァ・・・)。
矢が当たったまさにその箇所には、正成が肌身離さず身につけていたお護(まも)りがあり、それが矢をはね返したのであった。その中には、彼が常に信仰し、朝夕に読経し続けてきた観音経(かんのんきょう:注6)が入っていた。
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(訳者注6)法華経普門品(ほっけきょうふもんぼん)の章中に含まれる経である。そこでは、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)信仰によってもたらされる利益(りやく)が、詳細に解説されている。
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しかも、その経文中の「一心称名(いっしんしょうみょう)」という二句のちょうど上に(注7)、鏃の先端が折れて刺さっていたというのだから、まことに不思議な事であるとしか、言う他はない。
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(訳者注7)「一心に観世音菩薩の御名をお称えすれば、~」という意味が書いてある箇所。
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正成たちはこのようにして、「必死の鏃(ひっしのやじり)」の襲い来る死地から逃れ、戦場から20余町ほど隔たった地点に到達した。
背後を振り返って見れば、赤坂城は火の海に包まれている。
楠正成 よしよし、あいつ、わしの命令通りにちゃぁんと、城の方々に火ぃかけよったなぁ。
突然の出火に、幕府軍サイドはビックリ。
幕府軍リーダーA やったぁ! 城が落ちたぜ!
幕府軍リーダーB それぇ、勝ちドキを上げろぉ!
幕府軍リーダー全員 エイ! エイ!
幕府軍一同 オーーウ!
幕府軍リーダーC 城から、一人も逃がすなよ!
幕府軍リーダーD それ行けぇ!
幕府軍一同 うぉぉぉ!(ドドドド・・・)
赤坂城が完全に焼け落ち、戦場も静かになった後、城中を検分したみたところ、大きな穴の中に炭を積んだ下に、焼死体多数を発見。
幕府軍リーダーA おぉ、あわれなるかな、楠よぉ。すでに自害してたのか。
幕府軍リーダーB 敵ながら、弓矢取っての、あっぱれの最期だったねぇ。
幕府軍メンバーは口々に、正成を褒めたたえた。
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