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脱力して水になれ、調和して出力したら、、、太極拳っぽい

自分がどうしていいか
わからなくなった10年前
ランニングを始めた。

ランニングで
「脱力」の大切さを知った。
ブルースリーの
「友よ、水になれ」に
こころを打たれた。
人生のあらゆる局面で
「調和サイクル」を大切にしたいと
思うようになった。

ランニングのトレーニングで
「ケニア式ドリル」をやっているが
その直前に儀式のような
「不思議な体操」を無意識にやっている。
 足を前後に広げて手を前に差し出し、
 重心を前方に移動させる、
これって「太極拳」みたいだと気づいた。

太極拳には「老子」の
水のように自然に、という思想も
入っているらしい。

脱力して水のように
そして調和した動作が
自然と「太極拳」のような
かたちになっていた。。

実は何年か前に理由もなく
ふと、太極拳をやってみたいと
教室を調べようとしたことがあった。

そして忘れたころに、またこうやって
「太極拳」っぽい動きに行き着いた。

やっぱりやってみたい、と
こころとからだが訴えているようだ。

浜田省吾「日はまた昇る」の歌詞を
思い出してしまった。
「行く道はいくつもある。。
 たどり着くべき場所は。。
 ひとつだけ。。」

どんな思考回路や行動経路をたどっても
結局、自分がたどり着く目的地は
同じところになっているような気がする。

まるで運命は決まっているかのような、
最近、そんなことを感じることが多くなった。