20世紀の歴史と文学(1985年)

昨日の記事の最後の方でバブル崩壊について触れたが、1985年は、いろいろな出来事があった年だった。

まず、この年は、ちょうど戦後40年の節目にあたり、日本だけでなくヨーロッパでも先の大戦を振り返る機会があった。

1985年5月8日、日本と同じように第二次世界大戦の敗戦国となったドイツ(=当時はまだ西ドイツ)で、ヴァイツゼッカー大統領の演説が行われた。

その演説は、西ドイツの連邦議会でなされたのだが、後に有名なフレーズとなったヴァイツゼッカーの言葉がある。

「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる」

これは、過去の戦争行為にどれだけ向き合えているかという歴史認識の深さを測る物差しにもなる。

私たちの世代は、過去の戦争を経験していないし、当時は子どもだったか、まだ生まれていなかった。

それは、1985年当時に40代以下だった人もそうである。

だが、生まれていなかったから責任を負わなくて良いのかといったら、それは違う。

同じ戦争行為を繰り返さないように努力する責務が、私たちにはある。

その責務を全うするためには、過去のことを知らなければならないし、目を背けてはいけない。

目を背けていると、結局のところ目下の潜在的危機にも気づけないままに、再び惨禍を招くことになる。

この年は、ソ連でも、あのゴルバチョフが共産党書記長に就任し、事実上の最高指導者となった。

のちにペレストロイカ(=再建を意味する)を提唱し、ソビエト体制の改革を実施して、米ソ冷戦に終止符を打った政治家である。

こうした偉大な政治家が、同じ1985年に世界情勢の風向きを変えるきっかけを作ったのは、私たちにとっても幸運だったといえよう。

アメリカでも、当時はロナルド・レーガン大統領が、中曽根康弘総理大臣やゴルバチョフ書記長と連携を取りつつ、1989年1月20日まで2期8年間の大統領の任期を満了した。

ところで、ニューヨークでは、9月下旬に日本のバブル景気の始まりのきっかけとなる出来事があった。

プラザホテルで、アメリカ・イギリス・西ドイツ・フランス・日本の財務大臣・中央銀行総裁会議が開催され、いわゆるプラザ合意がなされた。

この合意の結果を受けて、市場では極端な円高ドル安が進行し、1ドル200円台から100円台にまでドルが暴落した。

このプラザ合意は、日本の対米貿易黒字を削減する目的があったのだが、一時は好景気に浮かれた日本がどん底に突き落とされるという皮肉な結果を招くことになった。

そして、振り返れば、この年は昭和60年にあたり、昭和の時代が終わりを迎える時期だったのである。


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