唱歌の架け橋(第2回)
今でも親しまれている唱歌『春の小川』は、1912年に発表された。大正元年のことである。
作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一であり、この歌ができてからもう112年が経とうとしている。
一番の歌詞だけ、ひらがなで確認してみよう。
はるのおがわは さらさらゆくよ
きしのすみれや れんげのはなに
すがたやさしく いろうつくしく
さけよさけよと ささやきながら
以上である。
ひらがなで文字数を見ると分かるように、これは7音で構成されるフレーズが繰り返されている。
和歌で言うならば、下の句の七七の部分である。
もっと細かく見るならば、それぞれの行のフレーズが、「いろうつくしく」以外はすべて3・4・4・3で意味の区切りがつけられる。
3・4・4・3の区切りのうち、最初の3音のところで、「はーるの」「きーしの」「すーがた」「さーけよ」と頭を伸ばすことで、4分の4拍子のリズムを作ったところが、また素晴らしい。
終わりのほうの3音は、最後に四分休符を入れることで、これまた4分の4拍子のリズムを保っている。
そして、メロディーのほうはハ長調であり、
①「ミソラソミソドド/ララソミドレミ」
②「ミソラソミソドド/ララソミレミド」
③「レミレソララソラ/ドドシラソソミ」
④「ミソラソミソドド/ララソミレミド」
という感じなのだが、
実はこれを「ヨナ抜き音階」と言って、日本人が歌いやすいように旋律が工夫されている。
ヨナ抜き音階は、「ドレミファソラシド」の4番目のファと7番目のシを抜いたものである。
『春の小川』では、「いろうつくしく」の「ドドシラソソミ」の部分だけ例外的に「シ」が入っているが、そこ以外はファもシもまったく入っていない。
ところで、高野辰之の作詞とされているのは、厳密に言うと正しくない。
高野辰之が作詞したものは文語調だったので、「さらさらゆくよ」ではなく「さらさら流る(ながる)」、「ささやきながら」ではなく「ささやく如く(ごとく)」だった。
その文語調を、文部省の依頼によって1942年の太平洋戦争中に口語調に改めたのが、林柳波(はやし・りゅうは)という作詞家だった。
林柳波が「すがたやさしく」と変えたところは、もともと高野辰之が「においめでたく」としていた。
また、戦後に元に戻されたのだが、「さけよさけよと」という命令口調のような箇所も、林柳波は「さいているねと」という表現に改めていた。
高野辰之は、嗅覚と視覚に訴えて、「においめでたく/いろうつくしく」としたが、林柳波は「すがたやさしく/いろうつくしく」としてオール視覚に訴えた。
林柳波が「ささやくごとく」を「ささやきながら」と改めたことで、「小川」は完全に擬人化された。
これは、単なる口語調への変更ではなく、子ども目線に立った親しみやすい表現を意識したのである。
高野辰之は国文学者の肩書があったが、林柳波は詩人の肩書とともに童謡作詞家でもあったのである。