20世紀の歴史と文学(1968年)

1968年は、川端康成が、日本人としては初めてのノーベル文学賞を受賞した年である。

この年は、音楽の分野でも、「グループ・サウンズ」が、ビートルズ来日の翌年からブームが広がり、最盛期を迎えた。

グループ・サウンズだけでなく、1937年生まれの加山雄三や美空ひばりが30才になり、テレビの画面を通して、数々の歌がお茶の間に流れた。

また、終戦の年に生まれた俳優の吉永小百合も、このとき20代前半であり、川端康成の『伊豆の踊子』が1963年に映画化されたときは、今も御歳80才で活躍されている高橋英樹とともに、すでに主演を務めていた。

テレビの時代が本格的に到来し、日本中が熱狂して、人気俳優や歌手たちの姿を見ながら、思いを共有できるようになっていた。

さて、そんな中で、米ソがアジアやヨーロッパで、それぞれ軍事行動を取っており、川端康成自身も反戦運動を自ら行っていた。

中国でも、文化大革命が1966年から毛沢東主導によって展開され、約12年の間に、多くの青少年や文化人が亡くなった。

文化大革命とは、言わば、社会主義の風潮に合った考え方の押しつけであり、表現の自由や個人の生き方が尊重されていない点で、多くの批判が集まった。

アメリカは、当時、南北で分断されていたベトナムに、いわゆる「北爆」を行っており、日本でもアメリカが加担していたベトナム戦争に反対の声が上がっていた。

一方で、ヨーロッパでは、チェコスロバキアの自由主義国化を阻止しようと、ソ連がワルシャワ条約機構軍とともに軍事侵攻を行なった。

チェコスロバキアの自由主義というのは、「プラハの春」と呼ばれたのだが、当時は、チェコスロバキアは社会主義国であり、今のようにチェコとスロバキアそれぞれが分離独立していなかった。

今は、チェコもスロバキアも、ワルシャワ条約機構の加盟国ではなく、NATOの加盟国であり、EUにも加盟している。

つまり、アメリカ側である。

ソ連は、1991年に自らの体制が崩壊するまでは、ずっとチェコスロバキアに自国の軍隊を駐留させていた。

かつては、東ドイツが存在していて、その東ドイツの隣(=東側)が今のチェコ、スロバキアであり、スロバキアの東側にウクライナがあった。

今、ドイツは東西統一されて、チェコもスロバキアもNATO加盟国になっているわけで、ウクライナも1991年のソ連の崩壊によって独立しているわけである。

ロシアが、どれだけヨーロッパに脅威を感じているかは想像に難くないだろう。

さて、日本は、歌を通して、若者たちの思いが表現されていたわけだが、その若者たちの反戦運動の機運が、70年安保闘争とともに再び高まりつつあった。

フォーク・ソングの時代とも呼ばれた1960年代後半、川端康成と親交があった作家の三島由紀夫も、そのムーブメントの渦中にあったのである。







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