【続編】歴史をたどるー小国の宿命(5)
今の時代では、警察にあたる職が、鎌倉時代や室町時代は「守護」と呼ばれた。
文字どおり、「守」も「護」も、「まもる」という意味である。
警察は、いわゆる「県警」のように、各都道府県に全体を統括する本部がある。また、地域ごとの所轄署や交番も置かれている。
そのイメージで、室町時代の守護大名を捉えると、これからの内容が分かりやすくなるだろう。
今の時代は、首都機能が東京にあるが、当時は京都が政治の中心だった。
つまり、警察庁や警視庁が京都にあり、その下に各都道府県の警察本部や所轄署・交番があるイメージである。
警察庁は、警察庁長官と警察庁次長がいて、その下に、警視庁のトップである警視総監がいる。
警視総監の下が、警視監であり、この役職が、東京以外の道府県警の本部長にあたるわけである。
室町時代の有力な守護大名は、その本部長の数だけいたと想像すれば、本部長以下、所轄署の署長をはじめとする警察官が、それぞれの大名の一族ということになる。
有力な守護大名のうち、足利氏一門である斯波(しば)氏・細川氏・畠山氏は、「三管領家」(さんかんれいけ)と呼ばれ、将軍に次ぐ役職だった。警察庁長官と次長、警視総監と思ってもらえれば分かりやすいだろう。
次いで、昨日も登場した一色氏・土岐氏や、山名氏・京極氏・赤松氏・上杉氏・伊勢氏を「七頭」(しちとう)と呼び、三管領家とともに幕政に参加できることになっていた。
ちなみに、この幕政参加権を与えたのは、3代将軍の義満である。
この一色氏や土岐氏を、6代将軍の義教が誅殺したわけだから、事がいかに重大だったかが分かるだろう。
そして、義教を暗殺したのは、赤松満祐(あかまつ・みつすけ)である。
しかも、赤松氏は、一色氏・山名氏・京極氏と並ぶ「四職」(ししき)と呼ばれ、七頭の中でも格が上だった。
側近が将軍を殺害するほどの異常事態だったのである。
今週は、守護大名について知ってもらった上で、次週は、義教暗殺から1467年の応仁の乱まで解説していくことにする。
今度は、細川氏と山名氏が登場するので、今日の記事を思い出しながら、引き続きお読みいただければ幸いである。