20世紀の歴史と文学(1955年)

今日は、文学の話をして、1週間を締めくくるとしよう。

1955年は、日本が第二次世界大戦で敗戦して、ちょうど丸10年が経った年である。

つまり、昭和30年にあたるのだが、ある一人の作家が、文學界新人賞を受賞した。

東京都知事も務めた、今は亡き石原慎太郎である。受賞作品は『太陽の季節』である。

この『太陽の季節』が、川端康成らの選考委員にも評価されて、翌年1月には芥川賞にも選ばれた。

ここで、芥川賞と直木賞について触れるが、この二つの賞は、創設された1935年(=昭和10年)以来、毎年1月と7月に発表される。

1月発表作品は、前年の下半期の作品として扱われるので、7月発表の作品が、当該年の上半期の作品となる。

2024年の芥川賞は、来週7月17日(水)に発表されるのだが、受賞発表の1ヶ月前に、候補作品が報道発表されることになっている。

ちなみに、今回の候補作品は6月13日(木)にすでに発表されており、

朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」
尾崎世界観「転の声」
坂崎かおる「海岸通り」
向坂くじら「いなくなくならなくならないで」
松永K三蔵「バリ山行」

の5点となっている。

これらの中から受賞作が決まるのだが、受賞作がない場合もある。

今年の1月に発表された芥川賞の受賞作が、九段理江さんの『東京都同情塔』であることは、読書好きな人ならご存じだと思うが、これは2023年の下半期の受賞作品として扱われている。

石原慎太郎の『太陽の季節』は、石原が一橋大学在学中に執筆したものであり、受賞当時はまだ学生だった。

しかも、昭和生まれの人間が受賞したのは石原が初めてだったので、非常に注目された。加えて、『太陽の季節』という小説の内容についても、賞賛と非難の論争が起こった。

女性に対する暴力的な性的描写も含まれており、裕福な家庭の不良青年が小説の主人公だったことに、拒絶反応を起こした読者も少なからずいた。

のちに映画化もされて、2002年にはテレビドラマ化もされて、滝沢秀明や池脇千鶴が出演した。

胸糞悪いと感じる人もいる一方で、この作品が一定の理解を得て受容されたのは、当時を生きていた若者たちの実態を反映しつつ、戦後の一時的な抑圧的社会からの解放の象徴として、主人公の奔放な行動スタイルが支持されたからだろう。

作品のレベルが低いと酷評した人もいたが、この石原の作品は、日本がここから高度経済成長期に入り、多くの日本人が物質的豊かさを求めて欲望のままに突き進むことになるだろうという「予兆」として捉えることもできよう。

次週も引き続き1950年代の日本社会を解説していく。



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