古典100選(85)神皇正統記

今日は、知る人ぞ知る『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)の紹介である。

北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)によって、南北朝時代(1339年)に書かれたものだが、これはご存じの人もいるように、南北朝対立の中で南朝の正統性を書き綴ったものである。

実は、昨日の記事で紹介した『水鏡』と同じように、『神皇正統記』も初代の神武天皇からの記述があるのだが、今日は、平氏滅亡(=第81代の安徳天皇の入水による死)の後の第82代の後鳥羽天皇に関する記述を紹介しよう。

では、原文を読んでみよう。

①第八十二代、第四十四世、後鳥羽の院。
②諱(いみな)は尊成(たかひら)、高倉第四の子。
③御母七条の院、藤原の殖子(しょくし)〈先代の母儀多くは后宮ならぬは贈后なり。院号ありしはみな先づ立后の後の定めなり。この七条院立后なくて院号の初めなり。ただし先づ准后の勅(みことのり)あり〉、入道修理の大夫信隆の娘なり。
④先帝(せんだい)に臨幸ありしかど、祖父法皇の御世なりければ、都は変はらず。
⑤摂政基通(もとみち)の大臣(おとど)ぞ、平氏の縁にて供奉(ぐぶ)せられしかど、諌め申す輩(ともがら)ありけるにや、九条の大路の邊(ほとり)より留まられぬ。
⑥その外平氏の親族ならぬ人々は御供つかまつる人なかりけり。
⑦還幸あるべき由院宣ありけれど、平氏承引申さず。
⑧よりて太政法皇の詔にてこの天皇立たせ給ひぬ。
⑨親王の宣旨までもなし。
⑩先づ皇太子とし、すなはち受禅の儀あり。
⑪次の年甲辰(きのえたつ)に当たる四月に改元、七月に即位。
⑫この同胞に高倉の第三の御子ましましかども、法皇この君を選び給ひけるとぞ。
⑬先帝三種の神器を相具させ給ひし故に践祚せんその初めの違例に侍りしかど、法皇国の本主にて正統の位を伝へまします。
⑭皇太神宮・熱田の神明らかに守り給ふことなれば、天位つつがましまさず。
⑮平氏亡びて後、内侍所・神璽(しんじ)は返り入らせ給ふ。
⑯宝剣は終(つい)に海に沈みて見えず。
⑰その頃ほひは昼の御座の御剣を宝剣に擬せられたりしが、神宮の御告げにて宝剣を奉らせ給ひしによりて近頃までの御守りなりき。
⑱三種の神器の事は所々に申し侍りしかども、先づ内侍所は神鏡なり。
⑲八咫鏡(やたのかがみ)と申す。
⑳正体は皇太神宮に祝ひ奉る。
㉑内侍所にましますは崇神(すじん)天皇の御代に鋳替へられたりし御鏡なり。
㉒村上の御時、天徳年中に火事に遭ひ給ふ。
㉓それまで円規欠けましまさず。
㉔後朱雀の御時、長久年中に重ねて火ありしに、灰燼の中より光を差させ給ひけるを、納めて崇め奉られける。
㉕されど正体はつつがなくて万代の宗廟にまします。
㉖宝剣も正体は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)〈後には草薙と云ふ〉と申すは、熱田の神宮に祝ひ奉る。
㉗西海に沈みしは崇神の御代に同じく作り替へられし剣なり。
㉘失せぬることは末世の験(しるし)やと恨めしけれど、熱田の神あらたなる御事なり。
㉙昔新羅の国より道行(どうぎょう)と云ふ法師、来たりて盗み奉りしかど、神変(じんぺん)を顕して我が国を出で給はず。
㉚かの両種は正体昔に替はりましまさず。
㉛代々の天皇の遠き御守りとして国土のあまねき光となり給へり。
㉜失せにし宝剣はもとより如在(じょさい)のこととぞ申し侍るべき。

以上である。

⑧の文のとおり、当時は、第77代の天皇だった後白河法皇が実権を持っていたので、平氏滅亡のときも、後鳥羽天皇の即位には混乱は生じなかった。

また、後半の文章は、皇位継承では現代でも話題になる三種の神器について触れているが、その中で出てくる崇神天皇とは、第10代の天皇である。

㉙の文のように、神変というのが本当にあったのかどうかということも含めて、書かれている経緯については鵜呑みにすることはできないが、なかなか面白い記述である。

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