ピンピンコロリとネンネンコロリ【第4章①】

「死に際」「やり残し」「身辺整理」と続いて、今週は第4章として、「遺書」をテーマにしたい。

「遺書」は、推理小説(ドラマや映画でも)ではよく登場するし、自殺するときに書くイメージが強いが、別に、生前の元気なうちに書いたって、「書を遺(のこ)す」という意味では問題ないわけである。

これが「遺言状」となると、相続の意味合いが強く、ドラマでもこれは無効だとか有効だとかで、親族間で揉め事が起こる。

そもそも、周りが群がるような遺産があることが揉め事のタネとなっているわけだから、第3章の「身辺整理」でも触れたように、生きているうちに、そういったものは消化してしまえばいい。

自治体に大金が寄付されたニュースをときどき聞くが、ああいう形が一番理想的なのではないかと個人的には思う。

「自分が死んだらここに寄付してくれ」と遺書に書くのもよいが、人は大金を目にしたり、その存在を知ったりすると、いくら故人の遺志であっても、見なかったことにして違う使い方をする場合がある。

だから、お金はなるべく生活に困らない程度に使っておいて、「遺書」にはそれ以外のことを書いて遺すのがいいだろう。

例えば、自分が親しくしている人に自分の死を伝えてほしいとか、もし子どもがいるのなら、自分の子どもがどんな子どもであり、自分の死後に予見されることがいくつか思いつくのであれば、それにどう対応すればうまくいくとかを書き遺す。

あとは、自分の葬儀の希望の有無についてだろうか。

人によっては、葬儀は不要であるとか、海に散骨してほしいとかいう希望を持つ人もいる。

でも、故人の遺志に反して葬儀が行われる場合もある。「死人に口なし」をいいことに。

そういったいろいろな可能性を考えると、自分の死を知らせるのか、誰にも知られずに死ぬのかという究極の選択に行き当たる。

そのためには、病院は最期の場所であってはならない。

明日は、もう少し突っ込んで「遺書」の話を展開していこう。


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