行き過ぎた親切心
平日に働いている人は、明日出勤したらまた3連休だという人も多いだろう。
石川県の受け入れ態勢が整ったら、もしかしたらこの3連休が災害ボランティアの活動開始になるかもしれない。
ただ、いくらボランティア精神に溢れていても、相手の気持ちは考える必要がある。
一番気を付けたいのは、人様の家に上がり込むことである。
ボランティアといえども、域外からやってきた人は、被災者から見れば赤の他人である。
域内の人ですら、自宅に招き入れたことがないのに、ズカズカと当然のように上がり込まれたら、いい気持はしない。
少なくとも私はそう思う。
思春期の子どもが、自分の部屋に勝手に入られたら、親でも怒るのと同じである。親が掃除してあげたと言っても、そのことに感謝する余裕がないくらい、自分のテリトリーに足を踏み入れられたことが許せないのである。
子ども時代にそういう経験をした人なら、気持ちは分かるだろう。
それに、最近は、人間も変わってきたのか、支援という名の行動の裏で、人様の家の中がどんなものか知りたいというよこしまな心を持つ人がいる。
昔で言えば、街中を歩いているときや電車・バスに乗っているときなど、頭のてっぺんから足元まで舐め回すようにジロジロ見る人がよくいたものだ。
今は、そういう人は少なくなってきた。なぜなら、ほとんどの人がスマホに夢中になっているからだ。
ともかく、覗き見に似た嗜好性があって、変な下心のある人は、顔の表情でパッと分かるので、「コイツ、支援に来たわけじゃなくて、家の中を見たいだけだろ」と被災者から疑われる。
遠方からわざわざ交通費を使って来るのなら、その交通費で支援物資を買って届けてくれたほうがマシだと、私は思う。
特に、飛行機代なんか往復でもけっこうかかるはずであり、近隣のホテルに宿泊して1週間滞在するなら、その滞在費の分を寄付に充てればよい。
自己満足は、ダメである。
こういうときこそ、ふるさと納税制度を利用するのではないのか?
自治体が返礼品を送れる状況になくても、「見返りはいらない。復興に役立てて。」と言える人のほうが、カッコイイと私は思う。
何かをアテにして行動している人は、どこかでトラブルを招くことになる。
「こんなに助けてやったのに」とか「助けてくれと頼んだ覚えはない」とか言い合うのが目に見えている。
毎朝、自主的に、共同利用のごみ集積所の掃除をしている人、公園や道ばたの落ち葉掻きをしている人。
まず、そういった身近な人の行動を見習うことから始めて、自分が心から同じことを実践できるかどうか、胸に手を当てて問いかけてみるとよいだろう。