現代版・徒然草【48】(第172段・老いも若きも②)
今日は、昨日の続きで、③の文から見ていこう。
③美麗を好みて宝を費やし、これを捨てて苔の袂(たもと)に窶(やつ)れ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず、色に耽り、情にめで、行ひを潔くして、百年(ももとせ)の身を誤り、命を失へる例願はしくして、身の全く、久しからん事をば思はず、好ける方に心ひきて、永き世語りともなる。
現代風に言えば、こうである。
奢侈な生活をしてお金を浪費し、金を使い果たしたら苔の上でみすぼらしい格好をし、かといって見栄っ張りだけは強くて、いろんな物事に没頭して、恥じたり羨んだり、好みは毎日変わる。風俗にハマり、情におぼれ、清廉潔白に生きれば百年は持つ命を粗末にして身の破滅を招く。むしろ、若くして命を絶った先例に憧れて、長生きしようとは思わず、好きなことに心を奪われて、(もったいない死に方が)後々語りぐさになる。
④身を誤まつ事は、若き時のしわざなり。(これは、そのまま読めるだろう。)
⑤老いぬる人は、精神衰へ、淡く疎かにして、感じ動く所なし。(老いた人は、精神力も衰え、感受性もぼんやりと鈍くなり、敏感に察知して行動することもない。)
⑥心自(おのづか)ら静かなれば、無益のわざを為さず、身を助けて愁へなく、人の煩ひなからん事を思ふ。(常に心は平穏であり、意味のないことはせず、体を大事にして心配事や人様への迷惑もかけないように考えている。)
⑦老いて、智の、若きにまされる事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。
最後の⑦の文では、人間としての知恵が若い人より長く生きている分、勝(まさ)っていることは、若い人が容貌の面で老人より優れている(ハリや艶のある肌である)ことに似ていると言っている。
年をとると、若いときに突っ走って失敗した経験の上に、物事を達観して見られるようになり、よほど精神的に追い込まれない限りは、落ち着いた行動が取れる。
ただ、反応や動作が鈍くなり、若い人から見れば、行動面ではお荷物になる。しかし、豊富な人生経験が、的確な判断力の土台となることも多く、若い人が道を誤りそうなときの手助けはできる。
若い人たちは、逆に行動面でのサポートをして、(年老いた人と)お互いの欠点が補い合えるようになると、人生はやりがいを感じることの多い毎日となるだろう。
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