歴史をたどる-小国の宿命(44)
白河天皇の時代に入る前に、「白河天皇とは、何者ぞ?」と思う人もいるだろう。
第71代の後三条天皇の息子であり、死期が迫った病気の父から譲位され、20才で第72代の天皇となった。
白河天皇は、摂関家の権勢を弱めることに努めたといわれている。つまり、道長に代表されるように自分の娘を天皇の后にして、摂政や関白の地位につくことで権力を握るような体制に、終止符を打とうとしたのである。
ただ、白河天皇の野望は、最終的に自分が実権を握ることであった。
藤原氏の摂関政治には、批判的な立場の者も少なからずいた。
そうした事情も自分の実権掌握に利用し、藤原氏一族と波風を立てないそぶりを見せながらも、着々と自分の手元に権力を引き寄せていたのである。
白河天皇は、自分の息子を後継に指名したが、それが第73代の堀河天皇であった。
堀河天皇は、1087年に即位したが、当時はまだ8才であった。
白河天皇は、自分の息子に譲位したあと、まだ幼い息子のサポート役として、「白河上皇」として権力を維持した。
堀河天皇が20才で亡くなると、今度は、堀河天皇の息子をわずか4才で、第74代の鳥羽天皇として即位させた。
さらには、鳥羽天皇の息子をも、わずか4才で即位させ、この息子が第75代の崇徳天皇になった。
こうして、第73代から第75代の天皇は、白河天皇の子ども、孫、曾孫が務めたわけであるが、幼年で政治に未熟であることを利用して、最終的には「法皇」として君臨したのである。
それにしても、道長といい、白河天皇といい、やることがえげつないと感じるのは、私だけではないだろう。
実に、白河天皇は、1073年から1129年に77才で亡くなるまで、56年間も実権を握っていたのである。